最澄(さいちょう)(766/767-822)は、8 世紀から 9 世紀にかけての日本の仏教者です。中国の天台思想を本格的に日本に導入し、日本の天台宗の祖とされます。12歳の時に近江国分寺で出家した最澄は、785年に東大寺戒壇院で正式な僧侶となりました。その直後に「願文(がんもん)」を著し、比叡山に籠(こ)もったとされています。「願文」とは、仏道修行に当たっての成就したいことを述べて誓いを立てる文章のことです。標題の言葉は、その「願文」の冒頭に置かれている一文です。
果てしのないこの世界は苦しみばかりで安らかなことは無い。
最澄は、自らの仏道修行の誓いを立てるに当たって、自らが生きている世界がいかに苦しみに満ちているかを語ることから始めます。自分のみならず多くの生き物が苦しんでいることを確認しますが、自分もまたそれと無関係ではなく、むしろ意識せずに自分が周囲を苦しめていることにも気付いていきます。そして、自らが「愚(ぐ)が中の極愚(ごくぐ)、狂(おう)が中の極狂(ごくおう)、 塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下(ていげ)の最澄」であったと気付きます。
最澄が目指していたのは、直接的には、自分自身がさとりを開くことでした。では、どうしてさとりを開きたいのでしょうか。さとりの境地は、寂静とも表現されるように、静かで安らかなものです。自らが安らかであるためには、自らの周囲もまた安らかでなくてはなりません。ところが、周囲の不安が私の不安に繋がるとは、なかなか思い至りません。
仏教では、実際にはあらゆるものごとが複雑に関係していることに注目します。ところが、日常生活では、私たちは分かりやすい部分しか見ようとしません。理屈としては分かっているつもりでも、目の前に不都合なことがあると、排除すべきものと感じてしまいがちです。自分を含めて生物は水が無いと生きていけないとは知っていても、いざ目の前で雨が降っていると「天気が悪い」と言ってしまうものです。私が不都合を感じるのは、ひょっとすると、私自身が周囲のありさまに目を背けているためなのかも知れません。
私は何を願っているのか、それを願わずにいられないのはなぜなのか、を丁寧に確かめていくと、自分とさまざまなものとの関係が見えてきます。そういった、自分と他者との関係に目を向けることが、自分が歩んでいく方向を確認する第一歩となるのです。