人間は誰でもいざといふ間際に悪人になるんだ

夏目漱石『こころ』 (『定本 漱石全集 第九巻』岩波書店 82 頁)

 夏目漱石(1867~1916、本名、夏目金之助)は近代日本を代表する文豪です。漱石の作品は今なお読まれ続け、多くの外国語にも翻訳されています。『こころ』は大正3年(1914)4月20日から8月11日まで朝日新聞に110回にわたり掲載され、その後岩波書店より刊行されました。『こころ』は「先生と私」・「両親と私」・「先生と遺書」の三篇で構成され、ストーリーは語り手である「私」と、「私」が「先生」とよぶ人物との交流を中心に展開していきます。
 
 第一篇では、あるとき先生は「私」から「私」の父親がまもなく死去することを聞かされます。先生は「私」に財産相続のことで問題はないか、「私」の家族や親戚はみんな善い人達かどうかたずねます。財産相続に無関心な「私」は、自分の家族は田舎者だから悪い人間はいないと答えます。そこで先生は次のように言います。「然 (しかし)悪い人間といふ一種の人間が世の中にあると君は思つてゐるんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたやうな惡人は世の中にある筈(はず)がありませんよ。平生(へいぜい)はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざといふ間際(まぎわ)に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」この言葉に違和感を覚えた「私」は先生にその真意を尋ねます。先生は人間が悪人に豹変(ひょうへん)するのは「事実」であり「理屈」ではないと言い、特にお金が絡むとどんなに社会的に立派な人でも悪人になる、と笑いながら答えます。
 
 「いざといふ間際」とはお金の問題に限ったことではありません。仕事や人間関係において自分の損得が絡んだ場合、誰でも打算的になり利己的な行動をとりがちです。またイライラしているときや自分の気分が害されたとき、周囲の人に八つ当たりをすることもあるでしょう。現に「私」は先生の返事一つで、「私」の気分が悪くなってしまったことを先生から指摘されます。そして漱石自身、地震が起きた際に家にいる妻子を顧みず真っ先に庭に逃げ出したことを後に省みています。
 
 先生のいう悪人とは、法律を犯した罪人や非道徳な人間という意味での悪人ではありません。常に自分中心に物事を考えている人間のあり方や、自己保身のため計らずとも他者を無視し傷つけてしまう人間の不確実性が悪人には示唆されています。『こころ』に登場する先生は「私」に専門知識やスキルを伝授してくれた人でも、就職を仲介してくれた人でもありませんが、「私」は先生から人間の本質を学んでいきます。
 
 先生の言葉はインターネットが普及した情報化社会に生きる私たちとも無関係ではありません。対面時には他人を傷つけることはなくても、SNS 上では他者を簡単に攻撃してしまう人間性を、この言葉は言い当てているのではないでしょうか。
 

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