則天去私(そくてんきょし)

夏目漱石『大正 6 年文章日記』(『ああ漱石山房』朝日新聞社 150 頁)

 新潮社は大正 6 年(1917年)に文学愛好者を対象とした日記帳『文章日記』を出版しま した。『文章日記』には当時の文豪たちが文章を書くときの姿勢を座右の銘として自筆で書き、その意味を紹介しています。そのなかで夏目漱石は「則天去私(そくてんきょし)」という言葉を揮毫(きごう)し「天に則(のっと)り私(わたくし)を去ると訓(よ)む。天は自然(しぜん)である。自然に従って、私(わたくし)、即(すなわ)ち小主観小技巧を去れ、という意で、文章はあくまで自然なれ、天真流露(てんしんりゅうろ)なれ」と説明しています。漱石は前年の 12 月に死去しているので、漱石がこれ以上「則天去私」を論じることはありませんでした。そのため「則天去私」は様々に解釈されています。

 「則天去私」をめぐって漱石と会話をした漱石の弟子の一人、松岡譲によると、漱石は「ようやく自分もこの頃、一つのそういった境地に出た。他の人がもっと外の言葉で言い現わしてもいるだろう。つまり普通自分が自分がという所謂(いわゆる)小我の私を去って、もっと大きな言わば普遍的な大我の命ずるままに自分をまかせるといったようなこと」と語ったと言われています。つまり「則天去私」は単に小説を書く心持ちにとどまらず、漱石のたどり着いた生き方・人生観とも言えるでしょう。

 わたしたちは「自分」を確かな存在と認識し、自分の考え方は正しいと思って生活しています。しかしその根底には「わたし」の「はからい」、つまり損得勘定が常にはたらいています。漱石の言葉でいえば「自分が自分がという小我」、つまりエゴイズムです。「小我」を脱却するのは容易ではありませんが、漱石は小説を書くことで自分自身を対象化し、また坐禅をすることで自己の心を落ち着かせ、「小我」を克服しようとしたと言えるのではないでしょうか。

 わたしたちは「自分」のエゴイズムに気がついているでしょうか。自分の考えをもつ、自分の意見をはっきりと述べることは大切です。しかし自分のこだわりや自分への執着が強すぎると、周りの人との軋轢(あつれき)をうみ、人間関係がギクシャクしてしまいます。その結果自分もきずついてしまいます。時と場合によりますが、いつも自分の考えを通そうとするのではなく、大きな心で自らを空っぽにして他者と関わることもいいのではないでしょうか。新しい出会いや新しい発見があるはずです。

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