心ほど心まよはすものはない。

香樹院徳龍 (『よき人のことば—香樹院師の遺訓—』百華苑 28 頁)

 香樹院徳龍(こうじゅいんとくりゅう)(1772-1858)は、多くの門弟を輩出した東本願寺の学寮講者として知られる人物です。後世、門弟らによって、その行跡や遺訓が語り継がれました。安永元(1772)年に越後国(新潟県)の無為信寺で生まれ、幼い頃より書を読んだり字を書いたりすることが好きで、その俊才ぶりに周囲も驚嘆し、神童との名声も高かったと伝えられています。

 その徳龍の遺訓が「よき人のことば」としてまとめられている中に「心ほど心まよはすものはない」という文言があります。自分の心こそが最も自身を迷わせるものである、ということですが、その前後には、次のような言葉も並んでいます。

  心ほどしぶといわけの分からぬものはない。
  心ほど自由にならぬものはない。

自らの心ほど思い通りにならないものはない、という言葉を重ねて残したと伝えられます。

 徳龍は、端正な言行に努めた、学問的にも倫理的にも優れた人物として、門弟らによって語られてきましたが、実際には、さまざまな挫折や苦悩も経験する人生を歩みました。後半生に学寮講者として活躍しましたが、33 歳であった文化元(1804)年、その教えに対する理解に誤りがあるのではないか、との疑いをかけられたことがありました。疑いに対して、徳龍は、次のように自身の非を悔い改めています。

 徳龍はもともと、我々は強固な心で阿弥陀如来の恩に報いるべきと考え、名声や評判のためであったり、人並み程度の心持で報謝する人を強く責めていました。そうしたところ「私たちの努力で不足している点を改善できると考えてよいのか」と指摘を受けたのです。

 それに対して、徳龍は、親鸞の「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の衆生は、もとより真実の心(しん )なし、清浄(しょうじょう)の心なし。濁悪邪見(じょくあくじゃけん)のゆえなり」(『尊号真像銘文』・『真宗聖典 第二版』627 頁)ということばのように、凡夫である我々が名利を離れて真実の心に住することはできないことであった、と考えを改めたのです。このように徳龍は、他者からの指摘と、親鸞のことばとの出遇いによって、名誉や利益といった欲望から離れがたい私たちの心に気づいていきました。

 このような経験をした徳龍は、思い通りにならない心のあり方について、折に触れて語ったのではないでしょうか。その後、「心」をめぐる遺訓が語り継がれることとなったのです。私たちは、はかりしれない阿弥陀如来の真実心によって、濁り、誤ったものの見方しか持ち得ない自身に気づかされるのであり、そこから他者への寛容さも生まれるのではないでしょうか。 

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