「地図は現地そのものではない。」
S.I.ハヤカワ(『思考と行動における言語』原書第4版 岩波書店30頁)

地図は現地そのものではない。

 SNSで知り合った人とのやりとりで、その人の「言葉」からいい人柄だと思っていたのに、実際に会うと全然違っていてガッカリした・・・そんな経験ってないでしょうか。

 この「言葉」は「現実」ではありません。また言葉からつくられた「イメージ」も「現実」ではありません。この「言葉やイメージ」と「現実」の関係を日系アメリカ人の言語学者ハヤカワ(Samuel Ichiye Hayakawa, 1906-1992)は、「地図は現地そのものではない」と喩えました(この言葉自体は、ハヤカワの師コージブスキーが提唱した学問「一般意味論」(General Semantics)の教育的規範として使われてきた)。
 
 言葉で全てを言いつくすことはできないし、全てを計算しつくすこともできません。どんな情報にも漏れ落ちがあります。この簡単な常識を忘れることから、困ったことが色々でてきます。私たちがこの世界で直接知り得るものは、ごく限られています。ほとんどは友人や身内、同僚からの情報、マスメディアなどからの情報です。この情報の大部分は「言葉」で受け取ります。それを私たちは「現実」と思い込み、鵜呑みにしてしまい、対象にレッテルをはる、外見だけで人柄を判断する、あるいは反対に自分がそう見られてしまう等々が生じます。

 20世紀になって情報化や国際交流が進む一方で、紛争や戦争なども絶えません。人間は言語という高度に発達したコミュニケーションツールを持ちながら、中々分かり合うことができず、すれ違い続けてしまいます。そんな情勢を憂い、ハヤカワは『思考と行動における言語』で、争いや誤解が絶えないのは「地図は現地そのものではない」という規範が、頭では理解できても実践的には出来ていないからだと主張したのです。

 そこでハヤカワは、ソクラテスの言葉「汝自身を知れ」を引き、他人との円滑な関係や対象の適切な価値づけのためには、まずは自分を賢明に評価できることが必要だと言います。例えば人は誰でも自分に対して「私は魅力がないからモテない」「私は音楽の才能がある」など、否定的・肯定的イメージをもっています。心理学者カール・ロジャース(Carl R.Rogers)が言う「自己概念(self-concept)」です。そしてその自己概念こそがハヤカワが言う「地図」であり、「現地」(本当の自分)ではないのです。

 ハヤカワは、その「地図」は自分の実際の能力や限界によって決まるのではなく、自分の力はこれくらいだと“信じる”ことで決まると言います。つまり自信のない人は、彼自身がもつ「地図」がその成功を妨げているのだと。周りができるはずと可能性を示唆しても、本人は「いや、親も語学は苦手だったんだ。これは遺伝なんだ」などと合理化さえする。ハヤカワは、「地図」(自分自身の見方)がより「現実」(本当の自分)に近いほど、実のある行動、健全な決断をとることができ、自分自身に対して現実的ではない人は他人との関係においても現実的ではあり得ないと言います。

 このようにハヤカワの「地図は現地そのものではない」という言葉は、自分がもつ「地図」(言葉やイメージ)と「現地」(現実)との乖離を常に自覚しつつ、自分自身の可能性を拡げ、他者とよき関係を築くためのテーゼと言えるでしょう。

関連記事