世を離れて世に処せよ

今村恵猛『同胞』1901年7月号(『超勝院遺文集』同朋社 16 頁)

 今村恵猛(いまむらえみょう)(1867–1932)は 1899 年に浄土真宗本願寺派(西本願寺)の僧侶としてハワイに渡り、翌年から死去するまで 30 年以上、西本願寺のハワイ開教監督(後に開教総長に職名更改)をつとめました。今日では多くの日本人が観光にハワイを訪れ、居住することに憧れますが、当時のハワイ社会は混沌としていました。明治時代の半ば以降、ハワイ王国と日本政府の間で締結された移民条約のもと日本人はハワイに渡り砂糖プランテーションで働きはじめます。しかし 1898 年にハワイ王国はアメリカ合衆国に併合され、その後ハワイはアメリカの準州となり、アメリカの移民法が適用されるようになります。その結果、ハワイへ移民していた多くの日本人を排斥する反日運動が勢いを増します。1921 年には日本語学校を念頭にした外国語学校取締法が成立し、1924 年には移住目的での日本人新渡航者の入国は禁止されます。

 仏教各宗派は移住した日本人を追うかたち(追教)で、ハワイに進出しました。そして日本人移民の精神的慰問や葬儀・法事などの仏事をつとめました。移民を最も多く送り出した広島県や山口県が本願寺派の門徒が多かったため、ハワイでは西本願寺系の寺院が多く建てられます。

 「世を離れて世に処せよ」はアメリカ準州になったハワイで困惑する日本人移民にあてた今村のメッセージです。この言葉は一見矛盾しているように見えますが、決して世捨て人になることを意味するのではありません。今村は「心を不変不動の境に樹(た)て、身を千辺万化の社会に処せよ」と説き、「心の底に健全なる精神上の立脚地」があってこそ、人生の波乱やいろいろな問題に対処することができるようになると説明します。そして「精神上の立脚地」ができると、世の中の状況に対して悲観的になる必要はなく、むしろ様々な問題に対して積極的に対処することができると述べています。この今村の言葉に多くの日系人一世・二世が励まされたことでしょう。アメリカの影響を強く受けてキリスト教社会となったハワイにおいて、彼らは仏教徒として胸を張って生きていくことができたのです。

 寒さが厳しくなると、私たちは南国の気候に魅了されます。しかし百年以上も前にハワイに移住した日本人が大変な苦労をしたことはあまり知られていません。そして仏教は彼らの心の支えとなっていたことに着眼すると、ハワイの見方も変わるのではないでしょうか。 

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