『維摩経(ゆいまきょう) 』(『維摩詰所説経』)という大乗仏教の経典があります。この経典は、ヴァイシャーリーという都市の維摩詰(ゆいまきつ)という長者を主人公として、物語のように教説が展開されます。そしてこの経典の特徴は、その豊かな物語性とともに、悟りを求めて努力する人である菩薩という存在や、その実践である菩薩道を明らかにしていくところにあります。
標題のことばは、病気をテーマに菩薩道が説かれる中で、主人公の維摩詰が述べました。あるとき維摩詰は病気になります。そこで、仏は維摩詰のところへお見舞いに行くように仏弟子に命じますが、さまざまな仏弟子がお見舞いに行くことを辞退する中で登場したのが文殊師利(もんじゅしり)(文殊菩薩)です。文殊師利は、維摩詰と病をめぐって議論を展開していきます。
文殊師利は維摩詰に質問します。「あなたの病の原因は何ですか」「どうしたら病を滅することができますか」と。この質問に対して、真の菩薩道を明らかにするために維摩詰が答えたのが、標題のことばです。一切衆生が病むから菩薩も病み、その衆生の病が滅すれば菩薩の病も滅するのであると説きます。親子の関係を例にすれば、父母は子どもが病気になればこの上なく心配します。子どもが病気になれば親もまた病気になってしまうが、子どもの病気が治れば、親の病気も治るということです。
親が子どもを愛して育てていくように、菩薩は苦悩の只中にある一切衆生を慈悲の心で救済します。これが菩薩道です。菩薩道の成就には、目の前にいる苦悩の衆生の存在とその救済が欠かせません。しかし、ここで注意したいのは、苦悩していない菩薩が、苦悩している衆生を救うという上下関係のような構図にはなっていないということです。衆生が苦悩により病になれば、菩薩も同様に苦悩して病むということは、菩薩と衆生とが同じ立場にたっているということを表しています。
人間関係の中にあっても、困っている人が目の前にいたら、近くに寄りそって助け合い、救済の手を差し伸べることは大切です。しかし、本当の意味で他者に「寄りそう」とはどういうことでしょうか。どこか上から目線で「助けてあげる」「救ってあげる」のではなく、目の前の人と同じ立場にたって、相手の悩みを共に考えることによって、その苦悩を真に理解することができます。共に苦悩する存在として人間が支え合うことの重要性を大乗仏教は説いています。