若(も)し実行(じつぎょう)ありて光を潜(ひそ)むれば、
則ち高くして名あらず。

『高僧伝』序録(『大正新脩大蔵経』第50419頁)

 長い仏教の歴史の中では、仏法を未来へと伝承していくために、過去のさまざまな出来事や人の足跡をたずね求め、それを記録に残していく営みがありました。こうした営みの中で著された仏教に関する歴史書の中に、中国で成立した『高僧伝』があります。『高僧伝』は中国の高僧たちの伝記を集成したもので、南北朝時代の梁の慧皎(えこう)(497-554)によって著されました。

 標題のことばは、慧皎が『高僧伝』末尾の中で、この書の書名を「高僧」と名づけた意図を述べる文脈にあります。それによれば、『高僧伝』よりも前の僧伝は「名僧伝」と名づけられていました。しかし慧皎は、タイトルを「名僧」から「高僧」へと変更するべきだと主張したのです。その理由を述べた文章の一部が標題のことばです。それは、「もしも実際の行いがすぐれていてもその輝きを潜(ひそ)めていたら、〔徳は〕高いが名声はないということだ」というほどの意味です。さらにこれに続けて「徳寡(すく) なく時に適(かな)えば、則ち名ありて高からず(徳が少なくても時代に適合していたら、「名」はあるが〔徳が〕高いとはいえない)」という文があります。

 一時的にその時代・社会に適合すれば、たとえ徳が少なくても「名僧」と呼ばれるかもしれません。名僧とは「名」のある僧のことですから、つまり有名な僧ということです。一方、光を潜めてあまり人に知られず、無名でしかもすぐれた人物を発掘することは困難です。しかし慧皎は、本当に大事な人は「高僧」であると主張し、名声がなくとも徳が高い人物こそ、記録に残していくべきであると宣言しました。それ故、本書のタイトルは「名僧伝」ではなく「高僧伝」となりました。

 『高僧伝』は多くの人々に読まれ、そこに記された高僧の教えや生き様が後の人々に影響を与え続けました。こうした背景を考えると、中国を中心とした漢字仏教文化圏、言い換えれば東アジアの仏教世界で、「高僧」という言葉は特別な意味をもっています。親鸞も「正信偈」の末尾に「唯可信斯高僧説(ただこの高僧の説を信ずべし)」とうたいあげずにはおられませんでした。

 僧伝のタイトルが変更されたことによって、後の時代の人々の行動や生き方が変わっていきました。生き方が変わったということは、本当に大切な「行」や「徳」とは何かを見極めようとした動きがあったと言えます。

 さまざまな情報が飛び交う現代においても、私たちは日ごろ、一時的な名声にふりまわされながら、有名な人や事柄、あるいは多くの人によって承認されている物事ばかりを追い求めているということはないでしょうか。一時的な「名」ではなく、時代社会が変わってもゆるがないものとは何かを考え、それを求めていくことの大切さを標題のことばは示していると思います。 

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