シェイクスピアに優れた才能のある妹、
たとえばジュディスという名の妹がいたら
どうなったでしょうか?

ヴァージニア・ウルフ(『自分ひとりの部屋』平凡社 83頁)

 モダニズム文学の旗手の一人であるヴァージニア・ウルフは、1882年1月25日、レズリー・スティーヴンと妻ジュリアの第三子として生まれました。父のレズリーはロンドン大学とケンブリッジ大学で学んだ文学者・哲学者で、『英国人名事典』を編纂したことで知られています。自宅の膨大な蔵書からウルフは古典や英文学に対する造詣を深めていきます。しかし兄や弟がケンブリッジ大学で学んだのに対し、彼女と姉は父親の方針で、正規の学校教育を受けることはできませんでした。


 ウルフは1915年から小説を発表し始めます。やがて実験的な手法を用いて登場人物の意識・心理を描き、革新的な作家として注目を集めました。代表作の『灯台へ』を出版した翌年の1928年、ウルフはケンブリッジ大学の女子カレッジであるニューナム・カレッジとガートン・カレッジにおいて、「女性と小説」というテーマで講演を行います。この2回の講演の草稿をもとに書かれたのが1929年に出版された『自分ひとりの部屋』です。


 ウルフはこのエッセイの中で、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」と主張し、家父長制の下で女性作家が耐え忍ばなければならなかったはずの不利な状況に言及しています。そして「どんな女性であれ、シェイクスピアの時代にシェイクスピアのような劇を書くことは、何があっても絶対にできなかった」と述べた後、標題のことばで、兄と同等の才能を持つ、シェイクスピアの妹のジュディスという架空の人物を設定し、彼女がどんな運命をたどったかを描いていきます。


 ジュディスは学校で学ぶどころか、兄の本を読むことすら許されず、父親が決めた結婚から逃れるために家出をし、ロンドンに向かいますが、才能を発揮するチャンスに恵まれることはなく、情をかけてきた俳優兼経営者の男の子どもを身ごもり、最後には自ら命を絶つ、おおよそこのような展開になっただろうとウルフは述べています。


 本書の最後の章でウルフは、この若くして死んだジュディスは、現在の女性の中に生きており、肉体をまとって現れる機会を待っていると述べています。そして「わたしが思うに、みなさんの力で彼女にこのチャンスを与えることが、現在可能になりつつあります」と、当時の社会の変化について触れています。


ウルフがこの講演を行った1928年は、女性参政権運動が実を結び、イギリスで女性が男性と同じ条件で投票することが可能になった年でした。このような時代の流れの中で、ウルフのことばは、多くの人に希望と勇気を与えるものだったのではないかと思います。

 

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