人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。 いかり、うらむべからず。

貝原益軒(『養生訓 全現代語訳』 講談社学術文庫 416頁)

 貝原益軒(えきけん)<1630-1714>は、江戸前期から中期の儒学者、本草(ほんぞう)学者であり、さらに医学にも精通していました。幅広い分野で才能を発揮した貝原を、幕末に来日したかの有名なシーボルトは「日本のアリストテレス」と評したほどです。「民生日用の学」を志していた貝原は、難解な本草学をわかりやすく要約し、それを大勢の人に有益な形で伝えたいと考えていたようです。そうした学風のため門弟は多くなかったものの、出版物を通じて、人々に大きな影響を与えたといわれています。

  貝原益軒は85歳で没しましたが、『養生訓(ようじょうくん)』は、その晩年に執筆されたものです。世人後生(せじんこうせい)のためを思って著した遺作ともいわれています。『養生訓』では、貝原の実体験から得た「養生」について詳しく解説されています。養生とは、日々の生活に留意し、健康の増進を図ること、そして、摂生に努め、病気を予防することです。貝原もまた、若い頃から徹底して養生に努めたといわれています。さらには、単に身体を健康に保つための養生にとどまらず、精神面での養生にも言及されているところに、大きな特徴があります。

 『養生訓』では、「当たり前のこと—早寝早起きや腹八分目など—を当たり前にできないと、心と身体が病気になる。与えられた命と身体に感謝し、慎み深く、そして自分の人生を楽しんで生活すべき」という精神のもと、生活の心得が全八巻を通して書かれています。また、「人としてどう生きるべきか、どう在るべきか」など、自分の心や考え、生き方を整理することが人生で最も大事なことであると、何度も強調されています。このように、現代医療の課題である「心のケア」が説かれているところに本書の先見性があり、それが現代でも本書が愛読される理由のひとつになっています。


  標題に掲げたことばは、「年をとってからは、いつも日を惜しんで一日も無駄に暮らしてはならない。世の中の人のありさまが、自分の心にかなわなくても、凡人だから無理もないと思って、子弟や他人の過失や悪いことには寛大にすべきで、とがめてはいけない。怒ったりうらんだりしてはいけない。自分が不幸で貧乏であったり、他人が自分に対して無茶なことをしても、うき世のならいとはこうしたものだと思って、天命に逆らわず、憂いてはならぬ」との意味です(松田道雄訳『日本の名著14 貝原益軒』中央公論社、447頁)。


 これは何も、年をとった人に限らず、誰にでも関係することと思います。特に「他人の過失や過ちに対して寛大にすべきで、とがめてはいけない」ことは大いに参考になります。残念ながらコロナ禍の初期には、特定の人を非難することが絶えない時期がありました。他人を非難したい気持ちもわからないではありませんが、人には人の考え方や事情があるかもしれないと考え、寛大に接したいものです。相手を思いやる気持ちがあることの大切さ、それを実践できることの気持ちのよさがあります。そうした社会生活を取り戻したいものです。

 


 

 


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