国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。
道心有るの人を名づけて国宝と為す。

最澄『山家学生式』 (『日本の仏典 I 最澄』筑摩書房 17 頁)

 標記の言葉は、日本天台宗の祖である伝教大師最澄(さいちょう)(767-822)の『山家学生式(さんげがくしょうしき)』という著作の冒頭に置かれています。『山家学生式』は、日本に大乗仏教の戒壇(かいだん)を設立することを目指して、比叡山での修行者(学生)のあり方を示したものです。戒壇とは、戒律を守る誓いを立て、佛教の僧侶となる儀式を行う場所です。とりわけ、大乗仏教の戒壇を設立するとは、すべての人が活き活きとできる世界を建立しようとする願いに基づくものでもありました。

 国の中で最も価値があるもの(国宝)とは何でしょうか。最澄は、珍しい宝物などではなく、仏道を求める心が「国宝」なのだと言います。仏道とは、真理に目覚めることを目指す道です。人間が生きていく上で本当に大切にすべきことを求めることです。また、仏道を求める心はその本人にとって宝だというだけではありません。本人にとってのみならず、国にとっての宝でもあるのだと言うのです。それが、道心がある人が国宝であるという意味です。

 世間には実に多くの価値観が溢れています。そのいずれもが自らの正当性を主張しており、それを聞くと成る程と納得させられたりもします。「これが正しい」、「こっちが得(とく)だ」、「この方が効率がいい」など、多くの声に惑わされます。気が付けば、相反する価値観さえも、いずれが正しいのか、分からなくなってしまいます。それは、自分自身が真理を求めるのではなく、外部の声に振り回されているからです。そういう時に、人間にとっての真理を真剣に求めている人が目の前にいてくれるのは、大きな励みとなります。

 学部や専攻の違いはあれども、大学は真理の探究を目的としています。そういう中で、私たちが求めるべき真理ではなく、「本当らしいもの」や「まがい物」を「正しい」として声高に叫ぶ外部の声に惑わされることもあります。いったん立ち止まらねばならないこともあるでしょう。しかし、次の一歩を踏み出そうとするとき、目の前に真理を求める仲間がいることは大きな励みとなります。真理を求めるのは、その当人にとってのみ意味があるわけではありません。その周囲にいる人にも大きな励みとなるのです。真理を求めて学ぶ人が「国宝」とされるのは、そのためです。 

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