人間が美しくあるために
抵抗の精神をわすれてはなりません

灰谷健次郎(『兎の眼』角川文庫 89頁)

 皆さんも灰谷健次郎(1934-2006)の作品を教科書で読んだことがあるかもしれません。『ろくべえまってろよ』や『太陽の子』など、灰谷は多数の児童文学を残しました。


 灰谷の幼少期は極貧で、小学校の校庭に育つ野菜を盗もうとするほど飢えていました。父親は働いていましたが家計を顧みず、ずっと長兄が一家を支えていました。灰谷には勉強を続けたい思いがあったものの、貧しさゆえ進学ができず、就職するも転職を繰り返しました。その後、働きながらようやく定時制高校を卒業し、大学に進学して小学校の教師になりました。しかし、長兄と実母の死を経験した後、17年勤めた教師を辞め、やがて作家活動に専念するようになり、1974年に『兎の眼』で作家デビューを果たしました。

 標題に掲げた「人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」という言葉は、『兎の眼』の主人公である小谷先生の、高校時代の恩師の言葉です。


 小谷先生は医者の一人娘として育ち、大学卒業後に結婚し、その10日後に小学校教師になりました。初めて担当したのは一年生のクラスでした。小谷先生の勤める小学校は工業地帯にあり、校区内のゴミ処理場のある地域からたくさんの子どもたちが通学していました。この学校に勤め始めて、小谷先生は様々な困難の中にある子どもたちに出逢います。さらにはゴミ処理場で働く人々へ差別、第二次世界大戦の生々しい傷跡にも触れ、貧困、差別、偏見、障害など、困難の中でも自分らしく生きる人々の生き様から、多くを学んでいきます。


 あるとき、小谷先生は学級内でのいじめを目の当たりにし、子どもたちの残酷さと思いやりのなさに怒りを覚えました。さらに、自分自身の怒りの気持ちをコントロールできず、子ども達を睨みつけてしまいました。そうした中で、小谷先生は高校時代に旅した奈良を再び訪れ、西大寺の善財童子像の前に立ちます。善財童子像の美しさに見惚れながら、高校時代の恩師が語った「人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」という言葉を思い出します。そして、いじめを目にして怒りに震えた自分自身を思い返し、「自分はなぜ美しくないのか、あの日のクラスの子どもたちはなぜ美しくなかったのか」と問いかけるのでした。


 私たちが人生を生きるとき、どうしても譲れないものがあります。しかし、社会の中でうまくいかない出来事を経験し、譲れないものを諦めてしまうこともあります。あるいは、他人を許せないと思う怒りの気持ちや、羨ましいという妬みの気持ちが、私らしくあることを邪魔することもあるでしょう。


 しかし、「私」は、弱みも脆さもありながら、優しさや思いやりやしなやかさ、強さを持ち合わせているのではないでしょうか。そうした本来の「私」はきっと、「私らしさ」に満ち溢れた美しいものです。そのように美しくあるために、私たちは時としてルールに、友達に、家族に、そして社会に「抵抗」する必要があるのかもしれません。

 

 

 


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