之(これ)を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す、是(こ)れ知るなり

『論語』(『論語 新版』明治書院 31頁 )

  『論語』は、古代中国の思想家であり、儒教の創始者である孔子(前552—前479)とその門弟たちの言動を記録した書物です。孔子には大勢の弟子がいました。みなそれぞれ個性的な人たちで、中でも子路という名前の人は、弟子の中では最年長で、世代的にはむしろ先生である孔子と同年代といえる人でした。子路は若い頃には粗暴で、全く学問とは縁遠かったのですが、孔子と出逢ってからは、年の近さなど関係なく一途に孔子を尊敬していたことが、『論語』や他の書物からもうかがえます。孔子のほうも子路を大変可愛がり、また頼りにもしていたようで、旅に出る際のお供には、いつも子路を連れて行っています。ですから『論語』の中には孔子と子路のエピソードが数多く残されています。それらのエピソードから、子路はどうやら純粋な性格だったようで、孔子から教えてもらったことをすぐに行動に移そうとしたことがわかります。標題のことばは、そんな子路に向かって、孔子が語りかけたものです。

   日頃私たちは「自分のことは自分が一番よく知っている」と考えがちです。だから「誰も自分のことを理解してくれない」と嘆いたり、「どうして自分の思いが伝わらないのだろう」と悩んだりします。その一方で、たとえば、大学のレポートに取り組む時、「自分が何を書きたいのか、なかなか決められない」と誰かに相談したり、将来の具体的な進路を聞かれた際に、「いったい自分にはどんな仕事が向いているのだろう」と途方に暮れたりもします。自分のことでさえ知っているようで知らないのですから、私たちが本当に知っていることなど、実はそれほど多くはないのかもしれません。

 孔子はどうやら私たちのこのような状況も見抜いていたようです。『論語』には、また別の箇所で「子(し)曰(い)わく、吾(われ)知ること有らんや、知ること無きなり」(同書112頁)とも書かれています。子とは孔子のことです。ここでは孔子自身が「私は知っていることがあるだろうか、いや何も知ってはいないのだ」と語っているのです。孔子は知識が豊富で、だからこそ多くの弟子たちが周囲に集まり、尊敬されていたにもかかわらず、その孔子自身まだまだ知らないことがあることを自覚し、それでも自分に心を開いて教えを乞う者がいれば、じっくり膝を交えて語り合いたいと願っていたことがわかる箇所です。

 標題のことばは、知っていることと知らないことをはっきりさせることが、本当に知っているということだ、と諭(さと)しています。併せて考えてみると、 私たちにとって“知る”という行為がいかに難しいことなのかがわかります。孔子は子路を通して私たちに、まずはきちんと自分が知っているかどうかを自問することの大切さを、そしてそのうえで、知らないことを謙虚に学び続けることの必要性を、語りかけているといえるでしょう。  

 

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