無量の珍宝、求めざるに自(おの)ずから得たり。

『法華経』(『大正新脩大蔵経』第9巻 16頁)

 標題のことばは、大乗仏教の重要な経典の一つである『法華経』の第4章「信解品(しんげほん)」にあります。経典はしばしば難解な教えを譬喩(ひゆ)<たとえ>によって説くことがあり、この「信解品」にも「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩(たとえ)」と呼ばれる有名な譬喩が説かれます。大金持ちの長者と貧しく困窮した息子(窮子)の物語です。


 あるところに幼い子がおり、父と別れて家出をしました。数十年もの長い間、貧しい日雇い労働をしながら町や村を転々とし、あるとき父のいる町の屋敷の前にやって来ました。そのときの父は大金持ちになっており、窮子が恐れるほど優雅な生活をしていました。ちょうどこのころ、父は自分の余命を考え、家業や財産を相続できる人がいないことに悩んでいました。そこにその息子が突然やって来たのです。息子はこの人が父親だとわかりませんでしたが、父は一目で息子だとわかります。まず父は側近の部下を派遣して強制的に息子を自分のもとへ連れてくるように命じます。しかし側近に捉えられた窮子は、恐怖のあまり気絶してしまいました。その様子を知った父は、長い困窮生活の中で息子の心が弱ってしまったのだと思い、今度は別の人を派遣して父の屋敷の糞便の汲み取り作業に誘います。貧しくても日当をもらいながら生活していくことが窮子の望みでしたので、この誘いを受けて仕事をすることになりました。長年この仕事を続けることで、やがて父と子の心の距離も近くなり、とうとう財産の管理なども任されるようになりました。そして父は臨終のときを迎えます。このとき父は多くの人の前で、この子は自分の息子であるという真実を告白し、財産をこの窮子に委ねたという物語です。この譬喩は「今この宝蔵、自然(じねん)にして至りぬ」ということばで終わります。宝の蔵のほうが自然に窮子のもとにやってきたということです。


 この譬喩は釈尊と仏弟子との関係において、どのようなことを意味しているのでしょうか。父親が真実を語るまでに長い時間をかけて息子を導くように、仏も巧みな方便によって弟子たちを真実へと導くということを示すところにこの譬喩の目的があります。釈尊のもとで多くの教えを聞いている仏弟子の中には、自分は釈尊と等しい悟りを得ることができないと考える弟子たちもいました。成仏は自分と関係ないと考えていた仏弟子が、釈尊の本当に説きたかった教えを聞いて、自らも成仏できると知ったとき、その感動をこの標題のことばで表明したのです。


 大学での学びの中には、一つのテーマを深く学んでいくことも求められます。それゆえ大学では専門的な内容をテーマとする授業もあり、そこに難しさを感じることもあるでしょう。時には「これが世の中の役に立つのだろうか」「自分とこの授業に何の関係があるのだろうか」という問いが生じることもあるかもしれません。しかし、大学での学びが自分や社会とどのように関係するかは、すぐにはわからないものです。先程の譬喩も、父が真実を息子に伝えるまでには長い時間がかかっていました。そしてこの物語は、お金持ちを目指してお金持ちになったというサクセスストーリーではありません。一番身近なところに真実があるのに、長年気づくことができなかった仏弟子と、今それに気づくことができた感動を譬喩にした物語なのです。


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