本学では御命日勤行を毎月行っており、4・6・9・10月においては、勤行に引き続き学生による感話を行っています。 この記事では、4月28日(金)に厳修しました「親鸞聖人御命日勤行」での学生による感話のうち、田中夢太さんのものを紹介します。

感話の様子
感話の様子

私は、社会学部の現代社会学科で学ばせていただいております。その中でも、特にインターネットによって生まれた新しい文化について興味を持ち、ゼミでは若者のインターネットを介したコミュニケーションについて研究をしています。今の若者のほとんどはスマホを持ち歩き、友人といつでもどこでも連絡を取り合ったり、顔も名前も知らない人と親密になったりする時代です。たくさんのツールを使いこなし、新たな人間関係を構築しています。また、ここ数年はコロナの影響により、満足に外出することが叶わない時期もありました。学校に通うことなく家で授業を受けたり、会社に出向かずともオンライン上で業務を行ったり、オンラインでコミュニケーションをとるためのツールは大きく注目されてきたと思います。変化を続ける中で、より新しいコミュニケーションの可能性について考察していきたいと考えています。

一方で、ネット上ならではの問題もあると思います。3年ほど前に、恋愛リアリティーショー番組の中での行動が原因となりネット上で誹謗中傷を受け、自ら命を絶ってしまった木村花さんの事件が大きく話題になりました。ネットでの誹謗中傷は今でも大きな問題として挙げられています。ネット上は匿名性が高く、たくさんの人間が自分に同調しているように思えることから、自分が絶対に正しいと信じ込んだり、思想や発言が過激になりがちです。たとえばある芸能人のスキャンダルが報じられると、無関係の第三者であるにも関わらず、SNSなどで本人に宛て、なぜそんなことをしたのだ、どう責任を取るのかとコメントが集まります。当人たちは正義を掲げ、悪を糾弾せねばならないというつもりでいるのでしょう。しかしその行為自体が本人を傷つけることになってしまいます。

ここで一つ親鸞聖人の言葉を引用させていただくと、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という言葉があります。人間学の授業で学ぶ機会があり、印象に残っている言葉です。この言葉の主語は親鸞聖人です。つまり、親鸞聖人は、何が善で何が悪か、二つとも全くわからない。という意味になると思います。多くの教えが語り継がれ、歴史に名を残している偉大な人物ですが、そんな方でさえ自分には善悪の区別がわからないという発言はかなり衝撃的です。前後の文脈から考えると、この世界に常に変わらないものはなく、移り変わり行く中では絶対的な善や悪などないのではないか。ということだと私は解釈しました。自分が絶対的な正義であると思い込み、他人を責めてしまう今の私たちへの戒めの言葉のように思えました。

インターネットの世界だけの話に限らず、現代の社会は特に激しい変化の渦中にあると思います。そんな現代の社会について学んでいく中で、自分の常識から一歩身を引いて考えるということが非常に大きな意味を持っているように感じます。どんなことに対しても私たちは善悪の判断をしますが、そんな時に、一度立ち止まって自分の価値観を疑える人間になることが、この社会を正しく生き抜くために必要なのではないかと思います。

PROFILEプロフィール

  • 田中 夢太(たなか むた)

    社会学部現代社会学科第4学年

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