和らげることの出来ない悲しみは、生活をも変化させ、悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみなのです。

パール・バック(『母よ嘆くなかれ』 法政大学出版局 65頁)

  パール・バックは米国ウェスト・バージニア州出身の女性作家です。宣教師の両親と共に幼くして中国に渡り、そこで育ちました。高等教育を受けるため一時帰国したのち再び中国にとどまり、中国民衆の生活を題材にした小説を書き始めます。代表作『大地』(1931)でピューリッツァー賞を受賞、1938年に米国の女性作家としては初めてノーベル文学賞を受賞しています。晩年は、児童福祉施設や財団設立など、愛と平和のために尽力、1973年に没しました。

   『母よ嘆くなかれ』(原題 The Child Who Never Grew, 1950)は、重い知的障がいのある子どもの尊厳と親の人生、他者との共生を見つめたパールの手記です。パールは最初の夫とのあいだに娘キャロルを授かりましたが、可愛い娘にはフェニルケトン尿症の後遺症による重い知的障がいがありました。その娘をパールは9年間中国で育てた後、米国の入所施設に預けます。『母よ嘆くなかれ』には、その9年間のパールと娘キャロルの生活の苦悩と愛情に満ちた関係が記されています。
 

 標題に掲げた言葉は、大切な娘に重い知的障がいがあると告知を受けたときの悲嘆と、何事にも興味をなくし、意欲と希望を失った深い絶望をパールが告白したときのものです。パールにはその後、耐えがたい悲しみとの融和が始まりますが、その道程は容易ではなく、彼女は長年にわたって深く悲しみ、苦悩し続けています。パールが直面した悲しみの深さは、娘キャロルに障がいがあることを長く周囲に隠していたことからも推察されます。しかし、あるとき、その悲しみに満ちた生活に変化をもたらす出来事が起こります。パールは自分の期待に応えて必死に字を覚えようとする娘の手に汗がにじみ出ていることに気づきます。キャロルの汗ばんだ手に、母を喜ばせようと一生懸命な娘の気持ちを見たパールは、やがて徐々に「障がいのある娘キャロル」のありのままの姿と、その娘とともに歩む「自分の人生」を受け入れ、娘の存在の意味と人間の真の価値を認識することができるようになったのです。後日、パールは、自分をノーベル賞受賞にまで導いてくれたのは娘キャロルだと述べています。 
 

 現在では障がいや障がいのある人に対する一般社会の意識も変化し、理解も深まってきているのは事実です。1950年代に北欧から起こったノーマライゼーションなどの思想や運動は日本にも拡がり、さまざま条約や法が整備されて多様性が認められるようになりました。その点で、障がいのある人とその親の苦悩や困難はある程度は軽減してきていると思われます。しかし、それでもなお障がいのある人とその家族の抱える苦悩には深いものがあります。例えば、私たちが何気なく使ってしまう「五体満足」という言葉も、聞く人を深く傷つけることがあります。社会全体が有する人間の価値観と、障がいのある子を持つ親の願い・期待とは、時にすれちがうことがあります。そのため、障がいのある人と親の深い悲しみ・悩み、そしてその受容・克服に関する人生の課題は、現在でも社会全体で考えていくべき重要な課題なのです。
 

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