僕は何とか立ち直ろうとする。
なぜなら、今は朝だからだ。

中島らも(『頭の中がカユいんだ』集英社文庫 9頁)

 中島らも(1952–2004)は、コピーライター、小説家、放送作家など多くの肩書を持ちます。しかし、中島本人はこうした「肩書」を最も嫌った人かもしれません。中島は名門私立中学に進学しながらも、「親や教師に言われるままの勉強ロボット」になっていることに気づき、他の生徒のように受験勉強に猛進するのをやめ、ギターを弾いたり漫画を描いたりと、自分の趣味に没頭していきました。一浪したのちに芸術大学を卒業し、会社勤務などを経て、自分の作品を発表していきました。『今夜、すべてのバーで』や『ガダラの豚』、『お父さんのバックドロップ』、『中島らもの特選明るい悩み相談室』など多数の小説、エッセイを残しています。


 中島は、10代の頃から抑鬱症状や薬物・アルコール依存症と共に生きてきた人で、標題のことばが含まれる『頭の中がカユいんだ』は、突然妻子を残して家出し、勤務する小さな広告代理店に寝泊りするようになったある男が、いろんな出会いから、現実か妄想かよくわからない経験を重ねる日々を描いた作品です。中島は、この作品をアルコール依存症の症状の中で執筆しました。そのため、冒頭と末尾では文体も変化していきます。先述の『今夜、すべてのバーで』も、アルコール依存症で精神科に入院した経験から生まれた作品です。


 標題のことばの「僕は何とか立ち直ろうとする。なぜなら、今は朝だからだ。」は、作中の男が家出をして友人宅に泊まった翌朝に考えたことです。


 私たちは日々の生活の中でうまくいかないこと、辛いこと、悲しいことに出会うことがあります。「なぜ自分はこんなことをしなくてはいけないのだろう」とか、「なぜこんな自分でしかいられないのだろう」と問うて、落ち込んでしまうこともあります。ただ、日々の生活や人生は色々な要素で成り立っているので、辛さや悲しみを解決できるような明確な答えはそう簡単には見つかりません。中島が経験した病は簡単に治ることのないものでしたし、この社会になぜ生を受けたのか、という問いも答えのないものです。


 ただ、昨日と同じ今日は来ないのですし、新しい自分に出会うチャンスが来るかもしれません。もしかすると明日、答えが見つかるかもしれないし、あなたと共に笑い喜ぶ他者の存在に気づくこともあるでしょう。


 だから、答えのない悩みにもがき、立ち止まらず、男の言うように、とりあえず朝が来たから立ち直ってみようか、と動き出してみるのが良いのかもしれません。たとえその朝が雨や曇り空であろうと、「とりあえず朝になったから立ち直ってみようか」と思う人は、きっとあなただけではなく、あなたのそばにたくさんいるのではないでしょうか。

 

 

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