愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎(しお)れているのである。

『サンユッタ・ニカーヤ I』 (『ブッダ 神々との対話』岩波文庫 20 頁) 

 これは「葦(あし)」というお経の一節です。ブッダは未来・過去・現在という時間について語っています。未来はまだ来ていないので、存在していません。過去はすでに過ぎ去っているので、もう存在していません。存在しない過去と未来のことに思い悩むのをやめて、現在を生きよと言います。

 「愚かな人々」とは、貪(とん)(欲望)・瞋(じん)(怒り)・痴(ち)(無知)という煩悩にまみれている人々です。そういう人々は、未来と過去に執着し、現在を気にかけずに生きています。余裕を持って現在の生活を過ごしている人は稀でしょう。ほとんどの人は、余裕なくぎりぎりの生活をしています。そういう人は未来や過去のことばかりで頭のなかが一杯で、いまこの瞬間に目が向いていないのかもしれません。それゆえ、生き生きと前向きに毎日の生活を過ごすことができないのです。

 それではどうすればいいのでしょうか。ブッダはいつも答えを用意してくれています。ブッダは、「慢心を去り、よく心を統一し、心うるわしく、あらゆる事柄について解脱していて、独り森に住み、怠ることのない人は、死の領域を超えて、彼岸に渡ることができるであろう。かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである」(同 19—20 頁)と言います。これは出家者の生き方です。ブッダは在家者に対して、出家することを勧めています。心が欲望や怒りへ向かわないからです。

 出家は、現代人には高いハードルであり、ほとんどの人にとって不可能なことでしょう。在家の生活をしていても、心を自分でコントロールできれば、出家に近い結果を得ることができるかもしれません。心のコントロールは凡夫にとって最も難しいことです。ブッダは心について、「心は、把握し難く、敏捷であり、思い通りに突き進む」(『ダンマパダ』35)と言います。心は煩悩に従って動いています。未来や過去にこだわらず、心が欲望に向かわないように気をつけていまを生きる。これはわれわれにも心がけることができることではないでしょうか。 

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