大学の歴史

大谷大学樹立の精神

第3代学長 佐々木月樵(1875~1926年)

1925(大正14)年5月1日入学宣誓式
『佐々木月樵全集』巻六 所収

第三代学長 佐々木月樵


 本大学は本学年にて学部及び予科の編成を完了したのである。此記念すべき年に当つて、予は今日予科、学部並に専門部に多数の新学生諸子を迎へ、本日諸子の為めに本講堂に於て、宣誓の式を挙行することは、同慶に存ずる次第である。

 本大学は、今を距ること二百五十九年、寛文五年筑紫観世音寺の大学寮を京都枳殻邸に移したのがそもそもの始めである。爾来、長く大谷派本願寺子弟の修道院であつた。今この修道院が時勢の変遷に応じて、正しく学校組織となつたのは明治八年である。その後、同二十七年には大中学の組織を成じ、同三十二年には仏教学の上に諸宗の分科を行ひ、同四十四年には、真宗大学と高倉大学寮とを併合して、真宗大谷大学を設立し、こゝに学校統一の目的は達せられた。

 徳川時代の修道院は、かくの如く明治時代となつて初めて学校組織となり、外的には学制の上には現に四度までの変更を行ふたのであるが、内的には仏教学等は依然として昔の編制であつた。ところが世は大正となり、内外の思想の上には種々の激変を生じ、何人も教家の任務の重大なることを自覚するに至つた。そこで本大学にては今度こそは学制の根本的改革を断行する必要を感じ、大正七年春已来屢々会議を開き、大正九年遂に現行学制を布き、やうやく今春を以てその学制全部の編成を見たことである。
 当初その議に参加し、計らずも今日また乏しきを職を学長にうけ居る已上予は、今日此機を利して教授諸君及び諸子に対して、正しく本学樹立の精神を伝へることは、予の光栄たるのみならず、また自己の正になすべきの義務であると思ふ。

 そもそも、国民の精神的要素は、いふまでもなく宗教と教育とである。然も、教育は常に宗教を俟つて真実の人格を作り、宗教は教育によつてのみ常にその陥り易き所の迷信に陥ることを防ぐのである。宗教中、殊に我仏教の如きは、東洋文化の要素であり、また古来我国民の生活を支配したる宗教である。加之、東洋の教学中、今日世界に誇るべき所の無尽の学的要素を有するものは我仏教である。然らば、仏教は本来宗教である已上は、今後もまた宗教としては之を国民一般に寺院の殿堂から布教すべきことは勿論である。それと同時に之を今後また学校即ち教育の方から、正しく学として我国民に普及せしむべきものなることは、今更に言を要せぬことゝ思ふ。況んや、大正となつてから、我国にては、宗教界といはず、教育界といはず、内外現に之を希望しつゝあるに於てをやである。然るに明治維新後、官公私の大学は今日まで泰西の文明を輸入することにのみ忙しくて、未だ内に顧みるの暇はないのである。果して然らば、今日今後我此無尽の法蔵を開いて、広く之を世間に施すものは、正に何れの学校にて之を行ひ、また何人か之をなすべきであるか。茲に幸ひに、我等の先輩は早く既に心を此事に注ぎ、我等が為めに、今後我等が進むべき所の道を拓いてくれたのである。即ち明治の初年頃は、学内では外書の繙読は厳禁せられて居たので、殉教者闡彰院の如きは学外に護法場を建てて、専ら外国思想の輸入につとめたのである。我図書館にはその時のバイブルや、天路歴程やその他師の手沢本を蔵し、師の寺には、今もなほ建白書に殉教の血の鮮かに附着し居るのを見ることである。近くは我々は図書館の廊下にある所の、師が往復に当に使用した蓑を見てもその苦労の一端を偲ぶことが出来る。また南條前学長の如きも、早く在英中に研究された梵漢対照の大経の研究も、やうやく三十余年の後に至つて講ずることが出来、宗教哲学もまた清沢前々学長が人知れぬ努力によつて、やうやく学内で講ぜらるゝことゝなつた。然しかゝる先進の努力からして、内外の学問は続々学内に輸入され、梵、巴、西及び諸種の外学もまた公然と今日では何人も自由に之を研究し得るのみならず、前学長の七十の賀の祝の際には既に活字の鋳造から植字に至るまで、万事万端教授及び本学々生の手のみで以て梵文楞伽経を出版し、時にはまた研究の一部分は英文東邦仏教徒を発行して、多少にても今日では、仏教の研究を世界に輸出し得るまでに至りしことは、実に同慶至極に存ずる次第である。されど、我々はこれ位では満足さるべきではないのである。かくの如く大正已来内外の教学は内からも外からも一時に我大学内に講ぜられ、或はまたその諸学の附加し発達し来りしが為めに何日しか伝承の教学と混じ合ひ、修道と研究とが一見相反するが如く見えて、そこにまた世間の人にもまた一時何となく杞憂の念を抱かしめたことである。げに、これら内外の事情を一括して茲に本学は、学制の根本改正を行ふたのである。

 本学は、現に綱領第一条に示すが如く、仏教学、哲学及び人文に必要なる学術を教授し、並に其蘊奥を攻究するのを目的として居る。既に条文に示すが如くに、本大学が専ら世間の官公私大学及び各宗大学等とも大にその趣を異にする点は、本大学は先づ以て仏教学を以て諸学の首位とし、また之を中心として教授し研究する所にある。従ふて、先づ本学の予科には、各高等学校にも、また他の公私大学予科に見ざる所の仏典基礎学が正しく加はつて居る。即ち第一年には、阿含の釈尊と親鸞伝と其教義とを教授する。こは、仏教は常に釈尊に始まり、然も宗教としての仏教の極致は正に我真宗にありと確信するからである。この故に新入学生は先づ以て釈尊と親鸞聖人とに直面するのである。その後二年三年に亘つては、釈尊を糸口に一方華厳、般若、法華、涅槃と専ら釈尊の経典に親しみ行くと同時に、また一方では親鸞聖人の根本経典たる大経、観経、小経とを明かにし、そこに縦と横との上に密接な関係を保ちつゝ、之によつて学生は一往一切経典の重要なるものに直面し得るのである。直面とは、今日までの如くに各宗の註釈の刀に料理された所の経典ではなく、生命の溌溂たるありのままの仏教経典そのものゝ本義に味到することである。少くともこの基礎を完うするにあらずば、何人も学部否な恐らくは仏教の研究に入ることは不可能である。

 次に本学々部の仏教学に就ては、少くとも三つの目標を挙ぐることが出来る。第一は仏教を学界に解放したことである。第二は仏教を教育からして国民に普及することである。然しこれらの二大目標は人その人を得るにあらずば出来難いから、第三には、宗教的人格の陶冶に留意することである。今日までの仏教学はその宗その宗に限られた所の宗旨学であつたのである。学問とはいふものゝその実学ではなくして、単にその宗、その派にのみ限られた所の伝持でありまた口訣にすぎなかつた。先に本大学は真宗大学といふたが、その実真宗人は勿論真の仏弟子を出す能はずして、反つて人をして天台僧、華厳僧、法相僧の養成学校かと疑はしめたのも、畢竟ずるに、こはこれ宗教としての諸宗を単位として之を伝承するにつとめて、未だ学としての仏教をば正しく教授せざりしが為めであつたと思ふ。これ即ち、現制度となつて、仏教学は先づ宗としての単位をすてゝ、学としての単位をとりし所以である。即ち仏教全体をば、宗の障壁から解放すると同時に、進んで世出世の学そのものゝ解放にも及んで居る。

 若し仏教が唯僧侶の専有物でない已上は、恐らくは仏教学もまたその宗その宗の専有物であつてはならぬと思ふ。即ち仏教が万人の宗教である已上は、その仏教学も、また必ず万人の学たることをそれ自身要求して居る。これやがて、本大学が、仏教を学界に解放し、直接に間接に之を世間に普及するべく勉むる所以である。そのうち、唯一つ宗教として残された所の仏教は、我真宗である。されど真宗はもともと大乗仏教の極致であるが故に、そのまゝまた学として今後益々その研究を深め得るのである。これ即ち宗名を残しつゝ然もまた学名を附するに至りし所以に外ならぬ。

 今その真宗学と人文科の名は、大正七年初めて本学々科及びその課程に使用した所の新名目である。予は殊に此真宗学の名が、何日とはなしに数年ならずして早く世間一般に通用さるゝことゝなりしを悦ぶものである。今後、益々学としてその研究が深めらるゝと同時に、またそれが学内のみならず、宗教として世間一般の宗教的人格教養の源泉となり得ることを深く切望して止まぬものである。

 本大学では、仏教はかゝる解放的意義に於て先づ以て研究せられて居るのである。そこでかくの如き「法」の解放は、やがてまた「人」の解放を要求するものである。この故に、本学は爾来僧俗共学を断行し、非僧非俗の真宗は、また教育上現制度によつて初めてその意義を確めたことである。その後卒業生に対して宗教界、また教育界にもそれ相当の社会的資格を得ることを致したのは、正しく本学第二の目的をば、諸子をして容易に達成するが為めに外ならぬのである。そは何れにもあれ、政府所定の大学総則には、人格の陶冶に留意すべしといひ、本学の真宗財団はまた「真宗の精神によつて」といふて居る。本大学は、三分科何れにも真宗学のみは之を必修として、学生の宗教的人格の陶冶に資することゝなつて居るのである。これ已上は、諸子の勉強と修養とに俟つの外はないのである。泰西の大学中、独逸では学の自由を尊び、仏国では資格を得ることにつとめ、英国では紳士を造り、米国では専ら実益を重んずと、予は一九二一年及び二年に亘つて欧米の大学を視察し、親しくその特殊性を認めしと共に、また何れの国にても有名な大学では、我国に於ける公私大学にては、そこに少しも認められぬ所の共通性の存することを目覩したのである。その共通性とは何であるか。即ち学内に於ける宗教的気分である。之を設備の上でいへば、何れも学内には崇麗なる礼拝堂若くは教会堂を有して居る。学生は土曜の晩、日曜の晨には、こゝに集つて神の栄光を讃するのみならず、また出身者の死後その法諱の壁板に麗はしく刻み附けられて居るのをも見たことである。実はかくあるのが当り前であつて、それらの有名な大学の多くは、私立にして、もともと寺院又は教会等の進展し開放されたものである。即ち、カンタベリーのキングスカレッヂは、もとオーガスチンが説法したりし所ソロモン大学は今もなほ、その裏にある所のサンゼネビーヴ寺院の寄宿舎であつたではないか。されば、若し我国にても真に東洋文化若くは、日本独特の、大学が出来得るならば、恐らくは、昔の法隆寺や興福寺や比叡山や高野山の講堂等が、早く進展し国民一般に開放せられて、文化の中心となつて居たならば、必ず日本独自の大学が出来たことであらうと思ふ。されど仏教伝来後有名な伽藍には少くとも、仏をまつる金堂と学問する所の講堂とが建立され、そのうち正しく宗教自体である所の金堂の方は早く国民一般に解放されしが、学問自体である所の講堂の方は永久に鎖されて今日に至つたのである、所が、近来、各宗は競ふて昔の講堂、今の学寮を解放し、盛んに世間一般の大学となすことが流行となつたが、果して之によつて、泰西の様な大学が出来るかどうか。思ふに、仏教の解放はたゞ世間に解放するのが主ではなくして、真の解放は、学として之を学界に解放し之を国民一般に普及することでなけねばならぬ。この第一義諦を忘却し乃至、宗教的人格の陶冶をも忘れて、徒らに世間の風潮を追ふのであつたならば、そは宗教学校の破滅であるのみならず、恐らくはまた仏教の滅亡ではなからうか。されば諸子は今後益々本学に於ける人格陶冶の三モツトーたる所の、本務遂行、相互敬愛、及び人格純真の三条に心をよせ、各自純真の人間となつていたゞきたいのである。諸子の学問及び人格の完成が、また本学の完成である。真宗は真をこれ主義とする所の仏教である。真は一般に学の対象たるのみならず、本学に於ては、またこれ人格陶冶の最後のモツトーである。

 今年を以て現制度の我大学は初めて学部及び予科の編成を完成したのだから、諸子と共に大学そのものも初めて大学に入学し得たのである。然らば即ち今日の宣誓式は、そのまゝまた若き我大学の宣誓式である。諸子は我大学自体とは同期入学生であることを自覚せよ、予は一層の自重を祈念して止まないのである。