特集
「ことば」の裏から世界を読み解く、文学研究の魅力
文学を通して社会に向きあい、知的な探究と発見の道を開く

なぜ初期仏教は「脱宗教化」されているのでしょうか。世俗化が進む近代への問いを原点に、超越的・神話的要素を内包する仏教の本質を取り戻すべく研究を進める新田先生に、タイパ主義の現代を生きる私たちへ向けて、行動のプロセスへの活かし方を解説いただきました。

A.私は、時代の潮流の中で見失われつつある初期仏教を、いま一度本来の「宗教」としての姿で示すべく研究を進めています。仏教の豊かな多様性は、ときに教義の本質を曖昧にします。世俗化が進む現代、初期仏教を「哲学」や「心理学」と捉える脱宗教化の動きもありますが、超越的・神話的要素を内包する仏教は紛れもなく宗教の一形態であると私は理解しています。
A.私は、自身の研究をおもしろいと思ったことがありません。おもしろいか否かの判断は個人の主観にすぎず、「好きな食べ物」を問うような相対的な価値判断だと考えるからです。しかし、仏教学を学んできた私からすれば仏教は、そのような表層的な興味関心の次元で測れるような、軽いものではありません。
A.仏教には、生老病死(※1)という根源的な苦難に向きあうための普遍的な智慧(ちえ)(※2)があると確信しています。私はただ、その真実への理解を深めたい一心で学んでいます。仏教の歴史に生きた先人たちの中に、その教えを「おもしろい知識」として消費した人などいないはずです。彼らにとってそれは、まさに生死をかけた営みであったに違いありません。
A.成長を一番感じるのは、ゼミでの卒論指導を通してです。仏教学科では同じゼミで継続して学びますが、ゼミが本格的にスタートする第2学年の時点では、専門文献の読解力も論理的な表現力もまだ不十分な学生が少なくありません。戸惑いながらも懸命にテキストに向きあう彼らの姿から、一人ひとりの確かな歩みが始まります。
A.発表や討論の訓練を地道に積み重ねることで、学生たちは着実に力をつけます。第4学年で卒論に挑む頃には、多少難しい文献でも自力で読み解き、論文へまとめ上げられるようになります。このように学生が少しずつ、しかし確実に成長する姿にふれたとき、教員として一番の喜びを感じます。
A.仏教の学びは、読解力や論理的思考力を培うだけでなく、難解な語学の修得を通して忍耐力をはぐくみます。特に現代仏教コースでは、社会的弱者の視点から現代の諸問題に向きあう力が養われます。そして、これら一連の学びを通して、学生たちは自らの自己中心的な態度を放棄し、他者とともに生きる姿勢をも身につけていきます。
A.寺院出身者ばかりの学科と思われがちですが、決してそうではありません。特定の進路に限定されないからこそ、卒業生は一般企業や公務員など幅広い分野で活躍しています。ここで得る多角的な視野や豊かな人間性、普遍的なスキルは、どの道へ進むとしても将来を支える確かな力になるはずです。
A.日本中がバブル経済に湧く高校時代、私の周囲では多くの同級生が医師や弁護士など明確な将来の目標を掲げて猛勉強していました。しかし私は、当時の社会の空気や学校の雰囲気に漠然とした違和感を覚えていました。そのせいか、早い段階から、将来は文学部に進学し、哲学のような人文学について学びたいと考えておりました。
A.進学した大学で師事したひとりのインド人教員との出あいが、私の人生を決定づけました。私はその先生から、世俗化が進む「近代」という時代が、人間の本来あるべき姿から根本的に逸脱したものであると学びました。この教えこそが、現代社会に対する私の問題意識の原点となっています。
A.その問いは答えにくいですね。学生時代を振り返っても、胸を張って「熱中していた」と言えるものが見当たりません。今、こころに浮かぶのは、若い頃に学問へ熱中しなかったことへの後悔の念のみです。
A.実家の寺で掃除や草むしりをするのが、ささやかな気分転換です。尽きることのない落ち葉や雑草は、まるで自分自身の「煩悩」のようですが、黙々と向きあううちに不思議とこころが整い、無心になれます。飽きっぽい性格のため長くは続けられません。それでも、この不器用な私なりの静かな時間が、日常の心地よい節目となっています。
A.座右の銘の一つはヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」という教えです。生はすべて授かりものですが、私たちは他者への羨望や結果への執着から自身のありようや環境について「もっとこうであったらよかったのに」などと怨嗟の念を抱きがちです。私も自分の人生において未だ果たせていないことを思うと、こころが揺れることがしばしばあります。しかしその度にこのことばへ立ち返り、変えられない環境や自分の限界を嘆くのではなく、いま成すべき行為に全力を尽くそうと思い直します。
A.行為の結果は能力や環境に左右され、完全に制御できるものではありません。しかし、結果へ至るプロセスの「向きあい方」は、常に自分自身に委ねられています。効率や「タイパ」を重視し、手軽にうわべの結果だけを追い求めがちな現代の私たちこそ、この聖典のことばを深く胸に刻み、いかに生きるかという過程そのものに意味があることを、あらためて見つめ直す必要があるのではないでしょうか。


新田 智通 教授
文学部 仏教学科
【専門分野】 仏教学(インド) 【研究領域・テーマ】 初期・部派仏教/「伝統学派」(Traditionalist School)についての研究
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