教員紹介
先生のA面・B面
科学の魅力と探究が紡ぎだす豊かな未来
探究の楽しさと伝える力を磨き科学教育から多彩な未来を拓く

大阪府出身の鄭祐宗先生は、日本統治下の朝鮮に生まれ非識字者だった祖父母との記憶を原点に、朝鮮戦争の終結と廃絶を見据えた国際法史研究の道へと進みました。学生のスタディーキャンプ参加をとりまとめ、実践的な学びの場と国際交流の機会創出のために尽力する姿に迫ります。

A.私は朝鮮問題の武力紛争化過程(一般的に言うと朝鮮戦争)の法構造をいかに捉えるかという点について、戦後期国際法学の知識に着目した研究を進めています。この研究を通じて、100年以上にわたる朝鮮半島の非平和状況の克服に対して、確かな論理性を与えたいと考えています。
朝鮮戦争とは何でしょうか。誤解を恐れずにいえば、私は、朝鮮戦争を〈いつからいつまでの〉そして〈誰かと誰かとの間の〉わかりやすい戦争だとは考えていません。私は、それをKOREAに関わるあらゆる人とその社会的諸関係に対して、暴力に訴えても構わないことを正当化する装置であり、またその日常的実践であると考えています。しかしその装置は、とりわけ韓国民衆の民主化運動の大きなうねりによって、もはや容易に通用しない時代に入りました。
朝鮮戦争の終結と廃絶を未来に見据えることは、この東アジア地域に平和に生きる人々の世界を確かにし、準備することでもあります。
A.私自身は大学の法学部を出ているのですが、法の目的とは何かいうときに、正義の実現だと繰り返し学びました。でも、学部時代にはその正義の意味がまったくわかっていなかった。法学で使用する「正義」は、私たちが日常的に使用する「人がふみ行うべき正しい道」ではなく、多くの人にとって馴染みが薄い「人々を公平に扱うこと」をもっぱら意味します。前者は漢語からきた意味であるのに対し、後者がjusticeの翻訳語として「正義」という言葉に流れてきました。(この系譜の解説については、中山竜一『ヒューマニティーズ 法学』(岩波書店、2009年)をぜひ手に取ってみてください)
私たちが公正と正義を実現しようとする際、いまただちにその表面においてバランスをとることは、現実の権力勾配を前提とした傾いた角度においてバランスをとることになります。これを十分に注意しなければなりません。大事なことは、本当に深く正しい意味でバランスをとろうとすることです。それは現状肯定の上でのバランスの確保ではなく、現状変革を通じた等しさの実現なのですが、そうした対案運動を推し進めていきたいと考えています。
A.人が成長するのは、友達との深い出あいを通してであると考えています。そしてその「友達」には、「先生」もまた含まれます。年齢と経験を越えて、そうした人と人との水平的な関係が生まれ、そして深い信頼関係が生まれたとき、人は互いに大きく成長するのだと思います。
大学という場があらかじめあって、人々が集うのではなく、同じ志を持つ人々が集う場のことを大学と呼ぶというのが、本質に近い理解であると思います。
そうした点から、同じ志を持つ人々が集う場であるゼミ活動、そして海外語学研修、交換留学、サークル活動は、学生が成長する場面となっています。
A.国際学部の韓国・朝鮮分野にのみ関わることではありませんが、この東アジア地域に平和に生きる人々の権利を確かにし、それを準備する構想力と行動力とが身に付きます。
あらゆる分野、すなわち人権、国際経済秩序、保健衛生、スポーツ、文化など、民間と公的なアクターの別を問わず、理論と実践に通じた人々が育つのが、大学での学びの姿となるでしょう。もちろん多言語(外国語)の使用に精通した人として活躍することが当然求められます。
特にあらゆる分野において、ゲームプレイヤーであると同時に、ゲームチェンジャーとして活躍できる学生が育って欲しいと願っています。
A.1910年代に日本統治下の朝鮮で生まれた私の祖父母は、故国植民地化の進行に伴って日本に渡ることを余儀なくされ、戦時中と戦後の危険と困難にも関わらず生き残りました。祖父母は、学校に通ったことがなく、生涯にわたって朝鮮語についても日本語についても文字の読み書きができない非識字者でした。よって、孫である私を連れて大阪環状線に乗る時には、券売機の表示が読めないため、きまって窓口に並び切符を買い求めました。祖父母が話す話し言葉としての朝鮮語と支配言語としての日本語がミックスされたその言葉は、私にとって、音楽的な母語となりました。私や私のような音楽的母語に関わる原体験を持つ人は世界に決して少なくないと思います。私自身が研究テーマを生み出す源泉にはこうした原体験が関わっています。
A.私は、中学生から高校生の時期まで、自身が通う学校のサッカー部に所属するとともに、所属高校の枠を越えた在日コリアン高校生たちの全国の集いに参加し、自身と立場と境遇を同じくする高校生との文化祭やサマーキャンプに打ち込んでいました。そうした高校生の時期に、朝鮮古代史の李成市先生(早稲田大学)や弁護士の金敬得先生の講演に接し、私は私たち在日コリアン世代が成すべき道とその仲間たちの存在について強く意識するようになりました。
こうした経験を経ながら、大学では法学部で学ぶことになりました。しかし、やがて関心は在日朝鮮人の権利擁護を原理的に基礎づける社会経済史のほうへと移り、エリック・ウィリアムズが『資本主義と奴隷制』で説いた「ウィリアムズ・テーゼ」(イギリス産業革命はカリブ地域での奴隷貿易、奴隷制なしには成立しなかった)と同様の問題意識から、日本資本主義と朝鮮植民地支配(特に在日朝鮮人の形成と労働)との関係構造に迫りたいと考えるようになりました。
結局、〈権利が守られるべきなのはなぜか。それはその権利や人権が憲法に書かれているからだ〉という形式論では、私たちの問いは解けませんでした。私は法学部で学ぶにつれて、日本国憲法の時代にも、植民地統治を原因とした原住民の市民権が法として書かれない事実を強く意識せざるを得なくなり、学問体系の側に自己の研究をあわせることを徐々に警戒するようになりました。こうした問題意識から、憲法や法律に権利は書かれていないけれども(書かれていないからこそ)、権利が回復され守られるべき理由を歴史として書くことを強く意識するようになりました。
私はこうした関心の深まりとともに、大学生のときには東アジア大学生平和・人権キャンプという日本、沖縄、韓国のそれぞれの大学で学ぶ大学生の交流キャンプに、当時所属していたゼミの一員として参加することになりました。そして2003年に生まれて初めて故国の地を踏みました。韓国では、済州4・3抗争、光州5・18民主化運動、梅香里米軍射爆場の現場などを、沖縄では、在沖米軍基地、コザ事件の現場などを現地の同世代の大学生たちと一緒に歩き、一緒に勉強もし、深く語りあいました。
2002年に始まったこの東アジア大学生平和・人権キャンプは、新型コロナウィルス感染症の影響による中断を経て、2026年2月に再開されることになりました。再開後の関西キャンプには、韓国地域からは、全南大学校、済州大学校、東亜大学校、江原大学校、西江大学校、日本地域からは、大谷大学、立命館大学、立命館アジア太平洋大学の学生と引率教員が参加しました。2027年2月には韓国の光州及び小鹿島(全羅南道)においてキャンプ開催を準備しています。もちろんこのキャンプには、大谷大学から学生とともに参加する予定です。
A.私は大学という場が、権力支配が及ばないasile(自由な空間、避難所)としてあると考えています。私自身はこのようなasileで学んできた自覚があります。そして、私が経験した高校の空間もどこかasileのような場でした。
何を学ぶのかも重要ですが、誰と学ぶのかにも注力して、進路選択を模索してみてはいかがでしょうか。


鄭 祐 宗 准教授
国際学部 国際文化学科
【専門分野】
歴史学
【研究領域・テーマ】
近現代朝鮮日本の政治社会史/国際法・国際政治史/等しく生きる自由
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