大学生活も半分が終わろうとする中で自分を見つめなおしたとき、より自分に向いていると思えた小学校の教員になるべく、板尾さんは受験をし直しました。晴れて二度目の大学1年生になった今、チャンスは自ら掴みに行かないと、自身の成長にはつながらないと認識している板尾さんは、叶えたい自分の姿も明確に描いています。コロナ禍を経て、デジタルネイティブの子どもたちを教えるという前例のない領域において、新たな教育を切り拓くチャレンジが始まります。

01 自分の適性を考えたら、進路変更にためらいはなかった

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井上:板尾さんは、谷大に来る前に別の大学にいたんですよね?
 
板尾:はい。その大学では2年間外国語を学んでいて、2年生の終わりごろ、そろそろ進路のことを考えないといけないという時になって、自分が得意なことを考えたんです。英語はそこそこできるかなとか、人前で話すのも、そんなに緊張せずに結構自信を持ってしゃべれるなとか。あと、保育園でアルバイトをしているんですけど、子どもたちと触れ合う中で、子どもと触れ合うのって結構好きかなと思って。そういうことを考えると、自分のスキルを活かせるのは小学校の先生かなという考えに至って、進路を変更しました。
井上:一般的になんだけど、外国語大学にいて英語を学んでいれば、中学とか高校の先生には、その大学にいたままなれたよね?
 
板尾:はい。そこで中高の教員免許を取ることもできました。でも英語を教えるだけじゃなく、他の教科も教えたいので、全部教えられる小学校を選びました。
 
井上:大学に入ってそれに気づいたんだね。
 
板尾:そうですね。何が起きるかわからないというのを実感しました。最初は、英語プラスアルファで何かスキルを習得したいなと思って大学に入ったんですけど、思いがけないことから自分の考えって変わってくるんだなって。
 
井上:私も聞いてびっくりしました。普通、そのキャリアってなかなか捨てたがらないじゃないですか。それをもう一度1年生から始めるっていうのは、かなり思い切ったね。自分をそういう所に飛び立たせたものって何なの?
板尾:そうですね……。僕、結構自分のスキルアップっていうのを大事に考えてて、何かできるかなって考えたときに、もうここでは無理かなって。前の大学にいたらあと2年で卒業だったんですけど、英語だけじゃダメかなと思ったんです。英語にプラスして何ができるかって考えた時に、小学校の先生がいいのかなって思いだして、思い切ったわけですけど。一番のきっかけはアルバイトですね。保育園でアルバイトをしなかったら、この道には来てなかったと思います。
 
井上:それだけインパクトがあったんだね。
 
板尾:そうなんです。小学生の時にお世話になった先生が「来ない?」って言って下さったのがきっかけで。その時に声がかからなければ、保育園でアルバイトをするなんて想像もしてませんでした。

PROFILEプロフィール

  • 井上 和久

    教育学部教育学科 准教授



    1961年兵庫県生まれ。大谷大学文学部卒業。兵庫教育大大学院学校教育研究科修士課程終了。兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。博士(学校教育学)。兵庫県立高等学校、兵庫県教育委員会、兵庫県立特別支援学校、大和大学教育学部准教授を経て、2018年に大谷大学文学部着任。
    障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶインクルーシブ教育システム構築のための、早期からの支援方法と支援継続のための地域や学校等でのシステムの研究を行っている。具体的には、保育所・幼稚園・小中学校の先生を対象にした「幼児期から学齢期までの支援継続のためのガイドブック」「中学校から高等学校への支援継続のためのガイドライン」の作成、「特別支援学校のセンター的機能と関係機関が連携した早期からの支援システム」の提案などを行っている。



  • 以前は別の大学で学んでいたが、大学生活も半分が終わろうとする中で自分を見つめなおしたとき、小学校の教員が、より自分に向いていると思えて、再受験した。
    チャンスは自ら掴みに行かないと、自身の成長にはつながらないと認識している。叶えたい自分の姿も明確に描いており、コロナ禍を経て、デジタルネイティブの子どもたちを教えるという前例のない領域において、新たな教育を切り拓くチャレンジが始まる。