学校の先生は、子どもたちに対してどんなときも「先生」であるべきでしょうか。先生だって人間です。一人の人間として、子どもたちのいい見本になりたいと、いつも思っています。そして、自分に問いかけています。今日も子どもたちと、「人と人」としてかかわりあえただろうか──と。

京都市内の小学校で、6年生を担任しています。教員として、責任をもってやりきらなきゃいけないことはあるけれど、先生と児童である前に人と人。当然、腹が立ったら怒るし、悔しかったら泣きます。失敗する姿もどんどん見せたい。だって、人間なんだから。
「人としてかかわる」ということを教えてくれたのは、大谷大学の先生でした。私たちと同じ目線で温かくかかわり、厳しいこともいってくださる先生方。学生に対して偉ぶることなく、研究室に遊びに行くとお茶を出して私をもてなし、洗いものまでしてくださる。大事にされていると感じました。

大谷大学を選んだのは、当時(2009年)新設されたばかりの教育・心理学科で教職と心理学が学べることに惹かれたからです。新しい学科で多くのことに挑戦でき、現場で長く勤めた先生からリアルなお話を聞けるのが魅力でした。学校現場の厳しい現実を教えてもらっていたので、いざ自分が働きだしてうまくいかないことがあっても、「そんなものだ」と納得して前に進めます。

教員の仕事は大変です。うまくいくことのほうが少なくて、毎日悩んでばかり。でも、目の前の子どもが「楽しい」と感じてくれたら、その瞬間に全部チャラになるから不思議です。うまくいかず腹を立てたり、ぶつかりあったりする。そんな苦しさも一緒に共有していて、「この子どもは今、希望をもった」と肌で感じるときがあります。自分の苦労はこのためにあったと思える瞬間が、ときどき来る。それが仕事の原動力になっています。

教員になりたての頃は、仕事量の多さに疲れ、漠然とした不安をもっていました。そんなときには大学を訪れ、先生や卒業生に話を聞いてもらい、力をチャージしました。抱えこみやすい性格で自分自身に“矢印”を向けやすいため、息抜きが必要ということも、先生から教わりました。大学では、目の前の出来事の解決方法を教えてもらったというよりも、壁を乗り越えるときのこころのもちようを教えてもらった気がします。自分にとっての大谷大学を表現するならば、「こころの寄りどころ」でしょうか。

子どもたちとのかかわり方の原点は、先生から紹介されて取り組んだ支援員の活動にあります。学習やコミュニケーションが難しかったり、こころを開けなかったり、クラスの中で困りごとを抱えていたりする子どもへの個別支援。ぐっと子どもに近づけて、「個」と「個」でかかわれる時間でした。集団の中にいる子どもが何を思っているのか、何に困っているのか考えながら、一対一で向きあう。この活動を通して、「個」を見る目と集団を見る目が養われたように思います。教員は大勢に目を向けてしまいがちですが、「どうしたら困っている子どもが楽しめるか、がんばれるか」を意識する大切さを知ったことは、今に生きています。

困っている子どもがいると、「この子どもを何とかしなきゃ」と思ってしまいます。できるように支援するし、応援もするし、方法も考えるけれど、子どもは簡単には変わりません。そもそも、変わらなきゃいけないわけでもない。子どもを変えようとするのではなく、その子どもたちががんばれるように私自身を変えることが大事なのだと、かかわった子どもたちから教えてもらった気がします。

子どもは、あらゆるものを映す鑑(かがみ)。今、そう実感しています。自分自身が映っていると思うこともあり、社会が何を求めているのか、家族の人がどういう声かけをしているのかも、子どもたちが示してくれます。大人は理屈や情報に左右されるけれど、子どもはありのままを見せてくれる。柔軟で、スポンジみたいに一杯いっぱい吸収して、精一杯、目一杯の姿を、私は毎日見ているのです。家で、学校で、地域で、何を感じ、どう生きているのか。目の前の子どもたちの姿から、社会や自分のあり方を考えさせられています。

PROFILEプロフィール

  • 川井 柚香

    文学部 教育・心理学科 2012年度卒 京都府・山城高等学校卒