わが身は極楽(ごくらく)へただ今(いま)に参(まい)り候(そうら)わんずれ。

「恵信尼消息」(『真宗聖典 第二版』東本願寺出版 763頁)

 

 恵信尼(えしんに)(1182~1268 以降)は、親鸞(1173~1262)の妻として知られる人物で、2 人の間には6人の子どもがおりました。恵信尼は、晩年の越後滞在中、京都に住む末娘・覚信尼(かくしんに)に宛てて消息を書いています。自筆が伝来するこの『恵信尼消息』全10通は、中世に生きた女性の生活や信心を知るうえでも、非常に重要なものです。消息で恵信尼は「あま(尼)」(第3・9通)とも自称しており、仏門に入った女性としての名のりと生き方を大切にしていました。また恵信尼は、夫・親鸞を「殿(との)」(第3通)と、敬いをもって呼んでいます。

 87 歳となった文永5年(1268)3月12日に書かれた第10通では、今は死を待つ身であると言い、覚信尼から送ってもらった着物を死装束にしようと持っていることを伝えています。このような行為は親鸞の思想と異なるものですが、当時の一般的な習俗として受け入れていたとみられます。そして覚信尼に「この世でもう一度会いたいけれど、それは叶わないであろう」と述べた後に冒頭の言葉が記され、さらに次の文言が続きます。

 かまえて御念仏申させ給いて、極楽へ参り合わせ給うべし。

 このように恵信尼は、必ずお念仏申して極楽へともに参りましょう、と覚信尼に語りかけています。浄土教には、阿弥陀如来の第35願(『 仏説無量寿経』)にあるように、女性が女身を離れて仏と成るという考え方がありました。そのことは親鸞の『浄土和讃』にも「変成男子(へんじょうなんし)」と表現されています。おそらく恵信尼や覚信尼も、このような教えを耳にしていたことでしょう。

 ただし恵信尼が娘・覚信尼に対して、極楽での再会を願う言葉を伝える際、極楽浄土には、その言葉通り、女性である「わが身」のまま参ることができる、と受け止めていたのでしょう。女性の念仏者として生きてきた恵信尼にとって、それは自然なことであったのではないでしょうか。

 真宗大谷派では2025年から、性別違和(性別不合)やLGBTQに代表される多様な性を尊重する法名(ほうみょう)のあり方が問われるなかで、法名に冠する「釋○○」もしくは「釋尼○○」を、誰もが選択できるようになりました。仏弟子として生きる名のりである法名を通して、ありのままの自分を受け止めていくことの大切さが願われています。

 私たちは、時に、自分自身を否定し、ありのままの「わが身」を受け止めることが難しくなることがあります。自分自身に向き合い、「わが身」そのままを受け止めて生きていくことの難しさと大切さを、恵信尼の言葉は今を生きる私たちにも問いかけています。
資料請求 オープン
キャンパス