『法華経(ほけきょう)』という大乗仏教の経典があります。標題のことばは、この経典の「譬喩品(ひゆほん)」にある物語の中で説かれます。火事の家の中で遊びに夢中になる子どもたちの話です。
ある町に大金持ちの長者がいて、多くの召使や子どもたちともに広大な屋敷に住んでいました。あるとき、屋敷で火災が発生し、大人たちはすぐ外に避難しましたが、子どもたちは火事の恐ろしさを知らず、驚くことも怖れることもなく、遊びに夢中で外に避難しません。父である長者はなんとかして子どもたちに火事を知らせて脱出させようと考え、火事の恐ろしさを伝えて避難するように叫びますが、子どもたちは依然として走り戯れて遊んでいました。そこで長者は、子どもの好きなおもちゃをあげるから外に出てくるように告げます。今も昔も子どもはおもちゃが大好きです。子どもたちはそれを聞いて、外に飛び出し、災難から逃れることができました。
この話はまだ続きがありますが、ここで、この物語に登場する子どもたちに注目してみてください。子どもは火事の恐ろしさばかりか、火事とは何かも知らず遊びに夢中になって外に出ようとしません。このときの子どもの様子が標題のことばです。「東西に馳走」するとは、あっちこっちに走り回って遊んでいる姿です。火事の家は、苦しみに満ち溢れた迷いの世界を表し、家の外は悟りの世界を表しています。
私たちもこの苦しみの世界に身を置きながら、火事という現実を知らない子どもたちのように、日々を生きているのではないかと仏教は問いかけます。仏教では、私たちが「楽」だと思っているさまざまな快楽等も、移ろいゆくものであるがゆえに「苦」と捉えられます。そうした「大苦」を直視せよと呼びかけているのです。
大谷大学が掲げる「Be Real」の「Real」には、「現実」と「真実」の二つの意味が込められています。その「現実」とは、私たちが眼の前で経験することのできるこの世界のありようを、そして「真実」とは、そうした現実の背後にある悟りの世界を指します。情報化や人工知能(AI)の進化・普及により、ますます本当のことが分かりにくくなっています。仏教は、「現実」を超えた悟りの世界を「真実」として教えているだけではなく、まず身近な「現実」を正しく見極めることも、この世界を生きる人間の課題であると説き示しています。