小さい頃から勉強の優劣を点数で決められることに抵抗を感じていた青山さんは、4年間しっかり勉強ができる場として、自分のことを見つめ直せる哲学科を選びました。大学での学びはとても刺激的で、今までの人生で今が一番、勉強が楽しいと言います。哲学科の学びは人と話すことなしには成り立たないと思う一方で、自分の思いを言葉に出して表現することの難しさを感じてもいます。今を大事に、一歩ずつ「哲学している」毎日です。

07 考えていることを表現することの難しさと面白さ

OTANI'S VIEW

更新日:
藤枝:卒業後のことは、何かイメージありますか?
 
青山:何も思いつかないです。でも大人になって、「明日どうしよう」とか思いながら放浪してそうやなって思いました(笑)。
 
藤枝:散歩が趣味やしな(笑)。まあ今は、4年後のことはわからないですよね。
 
青山:だから今を大事にしようと思って。将来のことを考えてても、結局いま動かないと意味がないって大学受験の時にお父さんが言ってくれたんで。それを大事にして生きています。そうやってたら、結果的に死ぬ時にもハッピーなはず、って思って。
 
藤枝:その時その時を大事にしていくことが、ハッピーにつながるよね。今、何か疑問に思っていることはありますか?
青山:「哲学科演習Ⅰ」を受けてるときに、哲学者の人たちって、なんで何かを得たら何かを捨てるのかなって思ってたんですよ。何か新しいことを考えたら、じゃあこれいらんやん、ってそれまで持ってたものを捨ててく感じがあって。
 
藤枝:何かを筋道立てて考えていこうとするときに、無駄な複雑化とか冗長化をしないっていうのが西洋哲学のルールになっているようなところがあるんですよ。何かひとつ最も妥当なものが見えたとしたら、それ以外のものを取る必要がないから、あるものを取ったらあるものは切り捨てるっていうふうに見えるのかもしれないね。
 
青山:でも、結局その解決策の問題点は、捨てたところにあった、みたいなのもあって。
 
藤枝:その辺が難しいところですよね。捨てた時点では最善の手を尽くして選んだんでしょうけど、実はまだ考えが足りなくて、捨てるべきではなかったものかもしれないですね。
 
青山:あと、後期のゼミで、デカルトの二元論を教えてもらったんですよ。それで友達と感情の話になったときに、理性がどうのこうのっていう話になったんですけど、イマイチわからなくて。自分は、感情は高貴なものとして扱ってきたので。
 
藤枝:理性と感情っていう心の在り方を、どう折り合いをつけるかってことだね。そして理性の力に重きを置くのがデカルトの大きな主張ですけど、その理性に対して、青山さんはどうして感情が高貴なものって思ったの?
 
青山:感情って、人の中で一番の衝動だと思うんですよ。何をするにしても必ずついてくるものだと思ってて。でも表現しようとするとチープになっちゃう。イマイチ何かよくわからないもの。だから自分の中では一番大切で。すごい尊い感じがするんですよ。人に説明しようとして「これは嬉しかった」って言っても、相手の「嬉しい」で共有されちゃうので、完全には人と分かり合えない感じがして。だからそれぞれの感情は高貴なものとして扱うべきなのかなって思ってて。
藤枝:ああ、そういう意味か。自分が考えていることの表現の難しさとかも含めて、そこが今考えていて面白いところでもあり、難しいところでもあるんだね。それはもう立派に哲学してますね。もう少しいろんなものを読んでいくようになったら、また発見することが出てくると思いますよ。これからの勉強も楽しみですね。
 

PROFILEプロフィール

  • 藤枝 真

    文学部 哲学科 教授



    1996年早稲田大学第一文学部哲学専修卒業。2001年大谷大学大学院博士後期課程哲学専攻満期退学。2004年博士(文学)。大谷大学任期制助手、京都光華女子大学・近畿大学・大谷大学・滋賀大学・大阪教育大学非常勤講師を経て、2005年に大谷大学文学部専任講師、2009年准教授。
    “科学が世界の在り方や人間の生を解明する”という現代にあって、なぜ宗教はいまだに存在し、そのような問題について関与し続けているのだろうか。様々な宗教がそれぞれ独自のことばを持つこと、そしてそのことばで語ることの意味について、また、宗教が社会で果たすべき倫理的責任について、キェルケゴール、ウィトゲンシュタイン、デリダなどを参照しつつ研究をすすめている。



  • 小さい頃から勉強の優劣を点数で決められることに抵抗を感じていた。いろいろ迷った末、さまざまな宗教について学べて、自分のことを見つめ直せる学問分野を探し、大谷大学の哲学科を選んだ。
    哲学科の学びは人と話すことなしには成り立たないと思う一方で、自分の思いを言葉に出して表現することの難しさを感じてもいる。高校生の頃から続けている茶華道のお稽古、アルバイト、映画研究部での活動、と充実した日々を送りながら、今を大事に、一歩ずつ「哲学」している。