将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指して、創作ができる大学を選んで谷大にやってきた西本君は、すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしています。読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日です。数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいます。

04 自己満足に陥らずにいかに共感を得るか

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國中:ファンタジーやSFより、リアリズムの小説を書きたいっていう若い人は珍しいです。文学全体では珍しいことではないけど、私の知る限り大学生くらいだとファンタジーを書きたいと思ってる人が多いから。
 
西本:ファンタジーとかSFって、自分の思うように書けるじゃないですか。自分が「これ使いたい」って思ったら、ファンタジー要素を入れるだけで勝手にできてしまう。でも説明がないと「何これ?」ってなったり、どのような世界観なのか少し説明を入れないと、思うように面白さが伝わらない気がするんですよ。なので、説明でどんどん面白さをなくしていくよりも、リアリティで日常系とかを入れていった方が、退屈さがなくて面白いと思うんです。
 
國中:ただ、ある人物がリアルに描かれても読者には共感できないというか、ファンタジーよりむしろリアルの方が多くの読者から共感を得るのが難しいっていうことはあるんじゃない?作者の自己満足に陥りやすいというかね。ファンタジーだったら、物語を面白くしようとすればできるじゃないですか。物語の展開が主人公にとってうまくいきすぎる場合には敵が現れて邪魔するとか。キャラクターの活きの良さとか物語の起伏とか、そういうのはファンタジーだからこそできるんじゃないかな。ファンタジーは、西本君のいう勝手さが強みなのかもしれない。
 
若い人はまだそれほど長く生きてないから、生きるか死ぬかっていう大変な経験をしたことは多分あまりなくて、恋愛にしても、ドロドロしたところとかドラマチックなところとかは、まだこれからの人が多いと思うんだよね。そうすると、リアルだけでは大きなネタを見つけにくいんじゃない?盛り上がりがあまりなくて、淡々とした日記風の世界になっちゃう恐れがある。
西本:確かに山場がないっていうのはありますね。ネタが作品にとって大きなものになるのかっていう懸念はあります。そこはいったん書いてみて、っていう感じです。自分は重要なつもりで書いても、読者にしたらただの登場人物にすぎないのかもしれないし。万人受けするってわけじゃないですけど、的外れなことを書いてしまったら、物語として成立しないんじゃないかとは思います。
 
國中:まあ経験は人ぞれぞれだから、小説の読み方も、主人公に感情移入して作品にのめりこめばいい、とは限らないよね。今はみんな大学生だから、基本的には同じような日常生活を送っているかもしれない。でも、実家から通ってる人と、一人暮らしをしてる人とではやっぱり違う。それに一人っ子の人が、きょうだいのいる人の話に共感できないかと言えば、そういうことはないでしょ?
 
書き手にとって個人的なことでも、それがすごく重い切実な経験であれば、境遇の違う人にも感動を与えることはできるんですよ。19、20歳くらいって、私自身の経験から言っても、自分の問題を考えるために小説を書いているところがあると思う。だから作品の全体像が見えていなかったんじゃないかな、私の場合は。結局、私は小説には深入りしないで、詩にハマってしまってそっちの方に行きましたけど。年齢が近い別の人の視点から書いてみよう、なんてことは考えたりしません?
西本:自分以外の人として書こうと思ったことはあるんですけど、どうしても視線が違うので、難しく考えちゃって。
 
國中:年代的な感覚とかに共通点はあるんじゃない?たとえば喧嘩なんかも視点交換の絶好の素材なんだよね。私が以前ときどきやってたのは、相手が自分のことをどう思ったかを、相手の立場から考えて表現してみること。そういうことをやってると、自分の考えや感じ方の傾向がわかってくることがあるんですよ。それで作品がうまくいくわけではないんだけど。今度、そんな視点も持ってみると良いね。

PROFILEプロフィール

  • 國中 治

    文学部文学科 教授



    早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(日本近代文学専攻)単位取得満期退学。韓国大田広域市大田実業専門大学専任講師(日本語および日本事情を担当)、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授などを経て、現職。
    昭和前期を代表する詩誌「四季」の文学者たち、特に三好達治と立原道造と杉山平一を中心に研究している。この3人は資質も志向も異なるが、詩形の追求と小説の実践、それらを補強する理論の構築に取り組んだ点では共通する。時代と社会にきちんと対峙しえなかったとして、戦後、「四季」は厳しい批判にさらされる。だが、日本の伝統美と西欧の知性を融合させた「四季」の抒情は奥が深くて目が離せない。



  • はじめは地元の大学を考えていたが、高校の担任の勧めで大谷大学を知る。すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしており、大谷大学には創作できる場所もあるということに惹かれ、受験した。
    読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日。将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指し、数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいる。