将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指して、創作ができる大学を選んで谷大にやってきた西本君は、すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしています。読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日です。数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいます。

07 卒論の代わりに小説を書く

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國中:今も書いてるの?
 
西本:はい。もう応募したのもあるんですけど、今度挑戦してみようかなっていうのがあるので、それに向けて書いてる途中です。
 
國中:長いのも書いてます?
 
西本:一応、応募したことはあるんですけど、時間もかかりますし、年に1回くらいしか書けないですね。基本的には短編から1万字程度の作品を応募してます。
 
國中:年に1篇でも長編が書けるのならすごいですよ。一番長いのはどれくらいですか?
 
西本:3万字から4万字くらいです。
 
國中:じゃあ中編くらいの感じかな、大学の外の世界では。まあこの学科の卒業制作はクリアできそうな分量ですね。とにかく、そんな長さを破綻なく書き上げるというのはすごいと思います。
西本:卒論の代わりに、小説でも良いんですよね?
 
國中:そう。文学科の場合は、小説を書きたい人はそれを卒業論文の代わりにしてもいいということになったんです。でも小説の場合は、審査する方も厄介なんです。論文と違って、型があってないような作品を、隅々まで精査しないといけない。
 
西本:それは指導もしてもらえるんですか?
 
國中:もちろん。でも指導もなかなか厄介。ゼミの時間に全員一律に創作の指導をするわけにはいかないから。
 
西本:先生も小説を書いていらっしゃるんですよね?
 
國中:僕は今は小説は書いてなくて、三好達治を中心とした詩の研究が主です。昭和10年代くらいの、日本が戦争をやっていた頃の小説も扱ったりしますけど。ヒトラーが好きな萩原朔太郎とか、人物や出来事についての評価がまだ定まってない時期なので、今では考えられないような発言があったりして興味深いんですよ。戦地に赴く人がポケットに詩集を忍ばせているなど、今よりも詩が大切にされていた、不思議な時代でもあります。現代より詩が切実なところから生まれ育っていた時代、というか。現代詩はいろいろ考えて作られているので、言葉をふだん意識的に考えていない人にはその魅力が届きにくいところがあるんですよ。
 
戦時下やその前後の時代は、作る人にとっても読む人にとっても日常の中の縋りたくなるものとして文学があったんでしょうね。時代や社会の抑圧に対抗することで文学がかえって人の心に深くしみこんだんだと思います。今は文学はなくてもいいと思ってる人も多いけど、なんとか、詩人や作家が命がけで頑張った成果を現代の若い人たちにも届けたいんです。
過去の作家や作品について学べば、それは自分の創作活動に必ず生きてくるはずです。

PROFILEプロフィール

  • 國中 治

    文学部文学科 教授



    早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(日本近代文学専攻)単位取得満期退学。韓国大田広域市大田実業専門大学専任講師(日本語および日本事情を担当)、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授などを経て、現職。
    昭和前期を代表する詩誌「四季」の文学者たち、特に三好達治と立原道造と杉山平一を中心に研究している。この3人は資質も志向も異なるが、詩形の追求と小説の実践、それらを補強する理論の構築に取り組んだ点では共通する。時代と社会にきちんと対峙しえなかったとして、戦後、「四季」は厳しい批判にさらされる。だが、日本の伝統美と西欧の知性を融合させた「四季」の抒情は奥が深くて目が離せない。



  • はじめは地元の大学を考えていたが、高校の担任の勧めで大谷大学を知る。すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしており、大谷大学には創作できる場所もあるということに惹かれ、受験した。
    読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日。将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指し、数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいる。