将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指して、創作ができる大学を選んで谷大にやってきた西本君は、すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしています。読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日です。数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいます。

06 身内のことも全部ネタにするのが作家

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國中:西本君は文藝塾の講義と演習、それから「現代文藝概論」も取っているので、創作に関わるような授業は、今は全部やってる感じですね。文藝塾には、文学の知識を得て、それを自分の創作に生かしてもらうという狙いがあるので、そこはしっかり勉強してもらいたいと思います。ご両親のご意向としてはどうですか?
 
西本:高校の時に、作家とか小説家になりたいって言ったら、突飛すぎるというか、現実味のない職業だから止めといたほうがいいんじゃない、みたいな。最初は笑ってました。
 
國中:本気とは思ってもらえなかった?
 
西本:そうですね。でも思いは変わらなかったので、3年間ずっと言ってたら「じゃあ頑張ってみたら」って感じです。今は反対はしてないですね。
 
國中:そうですか。私も実は、小説を書きたいとは思っていたんです。でも、親が許すはずないとも思ってて。大学時代に詩のほうにのめり込んでいったのも、詩ではどんなに売れたとしても、それで生計を立てることはできない、仕事のことを考えないわけにはいかないと思ったからなんですよ。何かの職業に就いていれば、親と対立することを心配しなくて済むから。それは逃げかもしれないけど。自分を少し不自由にした方が追い込まれて良いものが書けるのかもしれないっていう気持ちもありました。西本君、ごきょうだいは?
 
西本:姉が2人います。1人の姉はもう結婚しているので、家を出てますけど。
 
國中:そうすると、息子は家に残れといわれない?親御さんの将来的な期待とかは?
 
西本:自分はそうしたくはないですね。親がちょっかい出してくるのが嫌なので(笑)。
國中:小説を書くことに対して?
 
西本:いえ、普通のことでも。ソファに座ってても、かまってきたりとか。
 
國中:そこは20歳を過ぎれば対応も変わってくるんじゃないの?
 
西本:そうであってほしいんですけどね。でもこの前実家に帰ったときも同じだったので、これはもう変わらないかな、と(笑)。
 
國中:リアリズムでいくならば、大家族の方が絶対にいいんですよ。志賀直哉がリアリズムで成功できたのは、父親と喧嘩してたからです。子どももたくさんいて、浮気もする。家庭内に紛争がたくさんあって、それが全て題材になる。1人でスマートに暮らしてると、波が立たないんですよ。だからネタがなくなっちゃう。親とあれこれやり合ったり、子どもが困ったことをやらかしてその後始末が大変だったり、それらが、恰好の題材になる。ご両親がちょっかいを出してきてうるさいなら、それを題材にすればいいんですよ。
リアリズムの作家っていうのは、その作品がまた家庭内紛争をひきおこすんです。作品の中に親やきょうだいが出てきちゃうので、世間様に知られて恥ずかしいことも明るみに出る。文学用語では私小説と言うんですけど、そういう作家の家族はもうプライバシーはあきらめるしかない。作家っていうのは、身内のことも全部ネタにするつらい職業だと思いますね。プロになれば責任も伴うので、リアルでいくのはなかなか大変な道ですよ。

PROFILEプロフィール

  • 國中 治

    文学部文学科 教授



    早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(日本近代文学専攻)単位取得満期退学。韓国大田広域市大田実業専門大学専任講師(日本語および日本事情を担当)、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授などを経て、現職。
    昭和前期を代表する詩誌「四季」の文学者たち、特に三好達治と立原道造と杉山平一を中心に研究している。この3人は資質も志向も異なるが、詩形の追求と小説の実践、それらを補強する理論の構築に取り組んだ点では共通する。時代と社会にきちんと対峙しえなかったとして、戦後、「四季」は厳しい批判にさらされる。だが、日本の伝統美と西欧の知性を融合させた「四季」の抒情は奥が深くて目が離せない。



  • はじめは地元の大学を考えていたが、高校の担任の勧めで大谷大学を知る。すでに何編かの小説を書き上げ、各種の賞に応募もしており、大谷大学には創作できる場所もあるということに惹かれ、受験した。
    読み手の共感を得るためには、視点を変えてみると良いという先生のアドバイスを受けながら、授業や文藝塾で得られる学びを作品作りに生かそうと、気持ちを新たに過ごす毎日。将来はプロフェッショナルの書き手になることを目指し、数年後には卒業論文の代わりとなる作品を書くべく、日夜研鑽を積んでいる。