自らの執筆に生かすために、これまで手を出して来なかったジャンルの小説も読むようになった西本君は、リアリズムを基本にして書いていくことの難しさを痛感しています。自分が考えるストーリーに合う形で病気を作り出したり、盛り上がる場面を書きたいから登場人物を死なせるという安易な書き方は卒業して、書き手として一歩踏み出してほしいという先生からのアドバイスを受け、卒業制作に向けて気を引き締めています。

04 「病気」という便利な設定を軽々しく使わない

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國中: リアリズムの場合、きちんと調べていれば、人が死ぬといったような特別大きな、深刻なことを組み込まなくても、物語を盛り上げることはできると思うんですよ。人の死というような大きなことを持って来なければ盛り上がりを作れないっていう段階は、西本君には卒業してほしいなと思います。西本君の作品は病気が重要な役割を担ってたけど、その点ではどうですか?
 
西本:小説に出てくる病気の固定概念と言いますか、これで治ってしまったら面白みがない、と思われがちな気がしますね。治ってハッピーエンドでもいいけど、死んで決別させる方が面白いって感じると思うんですよ、今の人たちって。何かインパクトがないとあまり影響を及ぼせなくなっているから、病気は盛り上がりに使われるようなイメージがあります。
 
國中:それって、病気は自死に比べると、気持ちの良い悲しい別れというのをセッティングするのに有効、って感じですか?
 
西本:そうですね。病気がいいように使われがちだと思います。
國中:実際、少し前はエイズがよく使われたけど、進行性の病気で治療法がなかったり、治療法があってもあまり有効ではなかったりする設定は多いよね。自死だと後味が悪いけど、病気で死ぬとすると、本人が悪くないのに運命が悲しい別れをもたらしたってことで、気持ちよく泣ける。でも、それが型にはまった感じがしちゃうんですよね。
 
西本君は、みんな型にはまったものを求めているみたいなことを言ったけど、プロでもそういう設定の作品がヒットしたりするから、その影響があまりにも大きいような気がします。病気で死ぬと物語になるっていうのは便利な設定だと思うけど、でも現実世界では、結構治るでしょ。病気のために人生変わるとか家族関係が変わるっていうのは実際にもよくあるけど、無理に死なせなくてもいいんですよ。病気で死ぬのは悲しい結末としてまとめやすいかもしれないけど、リアリティがない。自死も、雪の中で死ぬのが綺麗だからってみんな飛びつくけど、そういうことは実際にはほとんどない。綺麗でもない。だから重点を置くところを変えてほしいと思います。
 
谷崎潤一郎の『細雪』って小説、あるでしょ。あれは主要な登場人物がいろんな病気になるんですけど、ほとんど治るんですよ。病気のこういう扱われ方は珍しいっていう指摘をする研究者もいるんですけど、どの病気にどんな治療がされてどのくらいで治るかっていうのがちゃんと調べてあって、あの時代の医療水準の記録としても意味があるし、ジェットコースターのような大きな起伏はないけど、だんだん戦争に近づいていく時代の不穏な空気を描くのに病気がぴったりなんですね。
人は病気にもなるし怪我もするけど、だいたいは治る。仲違いもするけど殺し合ったりはしないで、仲直りしてやっていく。それがリアリズムだと思うし、それを面白く読ませるというのが、表現の力だと思います。谷崎はとてもボキャブラリーが豊かだから、たとえば料理のシーンだけでも結構読ませるんですよね。小説=物語と捉えてる人が多いけど、小説は物語だけじゃないんですよね。西本君が書いたのは、ファンタジックな病気でしたよね?
 
西本:はい。看護師さんが、死期が近い人にはもやのようなものが見えるっていう記事を読んだことがあって。それを信じる・信じないは別にして、こういうのがあってもいいんじゃないかって思いました。病気の痛々しさを見せている作品をあんまり読んでいなかったので、そこを無理して書くよりは、赤いもやっていう形で伝えようかなと思いました。
 
國中:うーん……。架空の病気でもいいけど、もうちょっとリアリティがあってもいいんじゃないかな。『君の膵臓をたべたい』だって、会話は気が利いていて楽しいけど、ヒロインの病名はわからないじゃない?膵臓の病気であと何年かの命って言われているのに、そのときまでは普通の日常生活を送ることができるっていう、物語にうまく合うように病気を作っている感じがある。ある程度はやむを得ないと思いますけど、僕はこういう作り方は「ご都合主義」って言いたいです。
 
西本:ああ~。
 
國中:だいぶ前になるけれど、『世界の中心で、愛を叫ぶ』という小説もあった。あれは白血病です。僕も中学生の頃友達が白血病で死んじゃったので、そういう記憶も呼び起こされて感動させられてしまったんです。だけど『君の膵臓』の場合は、ちょっと白けちゃうというか。僕は父を膵臓の病気で亡くしてるので、ある程度膵臓を病んだ人のことが想像できちゃう。架空といえども相当調べたうえで、可能性としてこんな症状や経過がありそうだっていう条件を整えて書くべきですよね。
 
とにかく実際に病気で苦しんでいる人がいるわけなので、病気を使う場合は、よほど慎重に注意して調べ尽くしたうえで、襟を正して取り組む必要があると僕は思います。だから架空の病気っていうのは、本当は使ってほしくなかったですね。病院って、多くの人にとって非日常性が伴う場所でしょ?だから丹念にいろんな要素を引っ張り出していけば、架空の病気を作り出さなくても、入院生活を描くだけで充分に読み応えのある物語ができそうな気がするんですよ。

PROFILEプロフィール

  • 國中 治

    文学部 文学科 教授



    早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(日本近代文学専攻)単位取得満期退学。韓国大田広域市大田実業専門大学専任講師(日本語および日本事情を担当)、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授などを経て、現職。
    昭和前期を代表する詩誌「四季」の文学者たち、特に三好達治と立原道造と杉山平一を中心に研究している。この3人は資質も志向も異なるが、詩形の追求と小説の実践、それらを補強する理論の構築に取り組んだ点では共通する。時代と社会にきちんと対峙しえなかったとして、戦後、「四季」は厳しい批判にさらされる。だが、日本の伝統美と西欧の知性を融合させた「四季」の抒情は奥が深くて目が離せない。



  • 高校の先生の勧めで大谷大学を知り、創作できる場所もあるということに惹かれ、入学。1年生の時の対談以降、自らの執筆に生かすために、これまで手を出して来なかったジャンルの小説も読むようになった。
    入学当初からの目標だった卒業制作は、教員による事前審査に合格。リアリズムを基本にして書いていくことの難しさを痛感しながら、「書き手として一歩踏み出してほしい」という先生からのアドバイスを受け、卒業制作に向けて気を引き締めている。
    また、将来は出版社を中心に、自分の文章力が活かせる職業を希望している。