自らの執筆に生かすために、これまで手を出して来なかったジャンルの小説も読むようになった西本君は、リアリズムを基本にして書いていくことの難しさを痛感しています。自分が考えるストーリーに合う形で病気を作り出したり、盛り上がる場面を書きたいから登場人物を死なせるという安易な書き方は卒業して、書き手として一歩踏み出してほしいという先生からのアドバイスを受け、卒業制作に向けて気を引き締めています。

03 リアリズムで書くにも表現が重要

OTANI'S VIEW

更新日:
國中:大学に入る前と入ってからで、作品に対する姿勢が変わったことは?
 
西本:今はどれだけの表現がこの作品にあるかとか、本来の作品の面白さがどこにあるかとかを気にしながら読むようにはなりました。
國中:西本君はかなり早いうちから、読むことを、自分が書くための手がかりみたいに位置づけているんですね。もうちょっと単純に、読むこと自体を味わうことはないんですか?
 
西本:あまりなかったですね……。小学生の時に、読んだ小説から好きな言葉を抜き出したりしてたので、どこにどの文章があってっていう流れに着目し過ぎたってことはありますね。
 
國中:無駄のない生き方かもしれないけど、ちょっと窮屈な感じもしますね。たくさん読むのは良いですけど。今の方針としては、ファンタジー要素も入れる形で卒業制作をやろうと思ってる?
 
西本:あまりファンタジー寄りにはしたくなくて、根本的にはリアリズムでやりたいとは思っています。
 
國中:架空の世界を作り出すとしても、その世界の細部の描写はリアリズムを基本にしていかなければ手応えがないんだよ、やっぱりリアリズムの表現方法は磨いてほしいと思います。ただ、題材としてリアリズムを考えると、実生活上で絶対にこれは書いておきたいとか、これを書かないうちは死ねないという大きな体験を抱えているから、それを言語化して自分自身の精神のバランスを取るっていうことが書く動機としてありそうなんですよね。だから戦後の文学者は、戦争体験がどのくらい話の中でウェイトを占めてるのかってことが重要だったんですよ。戦争じゃなくても、例えば大切な人の死は誰にとっても大きな体験だから、創作でもそれを中心に据えようとする人は多いんです、もちろんプロでもね。安岡章太郎の『海辺の光景』とか堀辰雄の『風立ちぬ』とか、今や古典となっている名作はいくつもあるけれど、それが必ずしも皆リアリズム小説というわけでもない。そこに文学の決定的な鍵があると、僕は考えているんです。志賀直哉や梶井基次郎の小説は、死を孕んでいても、一見無造作なエッセイ風だったり、イメージの実験が連続する万華鏡のような世界だったり。
つまり一言でいえば、表現が凄い。題材はもちろん重要で、題材そのものが読者に与えるインパクトは無視できないけど、でもそれよりもっと重要なのが表現。文学作品の価値は、結局のところ表現の価値で決まると、僕は思うんです。

PROFILEプロフィール

  • 國中 治

    文学部 文学科 教授



    早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(日本近代文学専攻)単位取得満期退学。韓国大田広域市大田実業専門大学専任講師(日本語および日本事情を担当)、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授などを経て、現職。
    昭和前期を代表する詩誌「四季」の文学者たち、特に三好達治と立原道造と杉山平一を中心に研究している。この3人は資質も志向も異なるが、詩形の追求と小説の実践、それらを補強する理論の構築に取り組んだ点では共通する。時代と社会にきちんと対峙しえなかったとして、戦後、「四季」は厳しい批判にさらされる。だが、日本の伝統美と西欧の知性を融合させた「四季」の抒情は奥が深くて目が離せない。



  • 高校の先生の勧めで大谷大学を知り、創作できる場所もあるということに惹かれ、入学。1年生の時の対談以降、自らの執筆に生かすために、これまで手を出して来なかったジャンルの小説も読むようになった。
    入学当初からの目標だった卒業制作は、教員による事前審査に合格。リアリズムを基本にして書いていくことの難しさを痛感しながら、「書き手として一歩踏み出してほしい」という先生からのアドバイスを受け、卒業制作に向けて気を引き締めている。
    また、将来は出版社を中心に、自分の文章力が活かせる職業を希望している。