好きなことに全力で向き合う松田さんは、今は韓国に魅力を感じています。文化から始まった興味も、歴史や政治にまで関心が広がるようになりました。留学を前に自分を奮い立たせて、できる限りの準備をしていこうと考えています。応援してくれる友達や先輩に支えられ、留学経験者である先生の「自分で自分を押してやることが大事」というアドバイスのもと、いろんなものを見て来ようと張り切っています。

03 ‏自分から動けば、周りは協力してくれる

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喜多:松田さんは、朝鮮半島の映画を観るっていうゼミの課外授業にも参加してくれましたよね。自分から積極的に参加する姿勢が頼もしいなって思ったんですが、もともとそういう性格なんですか?
 
松田:いえ、もともとはそれほど積極的に動くタイプではなかったです。田舎のとても小さいコミュニティの中で生活してきたので、自分で動かなくても成り立ってきた生活が、都会に出て頼る人がいないってなったときに、「自分で動かないと周りは何もしてくれない」っていうのを実感しました。それにせっかく高いお金を出して大学に通わせてもらってるので、自分で何かやったぞっていうのが欲しくて、積極的に動いてみようって思うようになったんだと思います。
 
喜多:じゃあ、最初のきっかけは語学を勉強したいってことだったけど、それによって積極性もでてきたってことなんですね。上級生に交じって課外授業や勉強会にも参加していますよね。上級生と接するのは、新入生には遠慮があったりするものですが、その辺はどうですか?
 
松田:今までは自分から積極的に人と関わったりっていうことはなかったので、新しい人たち、しかも上級生というのが不安でもあったんですが、同じ韓国が好きな人たちだし、話してみたらとても優しくて、良くしていただいて。
 
喜多:いろんな人に声をかけたりつながりを持つことで、何か発見はありましたか?勇気を出して話してみて、達成感を得た体験とかは?
 
松田:それこそ、喜多先生に話しかけたのがすごく勇気のいることでした(笑)。大学の先生って固いイメージがあって、学生が気軽に声をかけても大丈夫かなって思っていました。だから想像してたのと真逆でした(笑)。自分がやりたいっていう意思を出したら、大学では周りの人に協力してもらえるっていうのを知りました。
 
喜多:それは良かったです。大谷大学は小さい大学なので、先生や職員さんたちとの距離が近いですよね。GLOBAL SQUAREのアシスタントをやってるからということもあるでしょうけど、松田さんは積極的に見えます。もともと持ってたものが大学になって芽を出したのかもしれないですね。大学生活の中で、どういった人物になりたいと思ってますか?
 
松田:外国に出たら、積極的に動かないと相手にもされないかなって思うので、自分の意見を持って言える力を身につけたいっていうのと、コミュニケーション能力を身につけられればいいなと思います。
 
喜多:コミュニケーション能力ではどういったことが課題だと思いますか?
 
松田:自分から話しかけるのが苦手なんです。
 
喜多:え、めちゃめちゃ話しかけてるように見えるけど(笑)?
 
松田:今はものすごく勇気を出して、やっとって感じなんです(笑)。それが、自然にできるようになると良いなと思います。話すときに、自分から話題を振れないことがあるので、会話の部分でもっとできればなと思います。
 

PROFILEプロフィール

  • 喜多 恵美子

    国際学部 国際文化学科 教授



    京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。大韓民国弘益大学校大学院美術史学科博士課程修了(論文資格試験合格)人間・環境学修士。2005年、大谷大学文学部国際文化学科着任。
    近代西欧の概念である「美術」が非西欧社会でいかに受容されていったのかについて関心を持っている。一口に受容といっても、ここでは無批判的な追従を意味するのではなく、美術というシステムがいかにして当該社会に有用な形に咀嚼され汲み上げられていったのか、その過程をさしている。方法論としては日本と朝鮮(韓国)における近現代美術の比較分析を行っているが、文化的に似ていると考えられがちな日本と朝鮮(韓国)においてさえ美術に対するアプローチのありかたはかなり異なったものとなっている。そこから翻って日本と朝鮮(韓国)における「美術」や「近代」の意味を浮き彫りにしたいと考えている。



  • 中学生の頃に韓国のアイドルグループの曲を聴いたことがきっかけで、独学で韓国・朝鮮語を学び始めた。以降、韓国のファッションなど文化に興味を持ち、最近は歴史や政治にまで関心が広がるようになった。
    大谷大学に入学し、語学学習支援室(GLOBAL SQUARE)のアシスタントをしながら留学に向けて学びを深めている。20代のうちにいろんな世界を見て、将来は外国と日本をつなぐ役割ができる仕事に就きたいと考えている。