他大学を辞めて哲学科に入り直してきた黒川さんは、先生との距離が近い環境で念願だった哲学を学べていることをとても喜んでいます。ゼミでの問いに頭を悩ませ、友人の発言に刺激を受け、考えを深める過程を楽しいと感じています。関心の赴くままに新しいことに挑戦しながら、自分を見つめる過程で見えてくるものと、頑張らなくても自分の中に残っていくものを大切にして、学びの4年間を丁寧に過ごしています。

04 5人を助けるために、1人を犠牲にするか

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脇坂:ゼミはどうですか?
 
黒川:1年生からゼミがあるのはいいですよね。想像してた以上にいろんな考え方してる人がいるっていうのが大きいです。他の学生さんと関わり合う場が多いのがいいなと思って。
 
脇坂:今のゼミすごくいいですよね。全員が発言するもんね。ちょっと稀に見る、すごくいいゼミだねって他の先生も言ってますよ。レジュメ作ってみんなの前で発表するのはどうでした?
黒川:まとめるのって結構難しいですね。通学の電車でもずっと読んで練習しました。
 
脇坂:いい発表でしたよ。ゼミで印象に残ってるテーマはありますか?
黒川:最大多数の最大幸福、功利主義の話がもやっとしてて。人数を判断の基準にするのってどうなのって思ったんですけど、人数で見るっていうのは、裏を返せば、1人ひとりの能力で評価しているのではなくて、どんなに能力の違いはあってもすべての人を1人の人間として見ているって側面もあるってその時初めて気づいて、驚きでした。
 
脇坂:なるほどね。ちょっとおかしいんじゃないのって思ったところをもうちょっと説明してくれる?
 
黒川:トロッコ問題(※)で、私はレバーを動かさない方がいいと思ったんです。でもほとんどみんな動かすべきだって言ってて、そこにすごくもやっとしたものが残って。私は自分が責任放棄したいからレバーを引かないっていう意味で言ったんじゃなくて、自分が人の運命を左右していいのかなって思ってて。未だにトロッコ問題は考えないといけないなって思ったままなんです。
 
脇坂:他人の運命に手を下すのはおかしいってことか。功利主義って、親鸞であろうと天皇であろうと、1人ひとりの重さを同じにして秤にかけるっていうことやんか。そういう意味では平等なんやけど、やっぱりいくつか問題があって。1人の人がすごく不幸になって、残りの人たちがみんな幸せになるんだったら、その1人を不幸にしていいのかっていう問題が出てくる。それから、秤に載せるって、なんだか直感的に嫌じゃないですか。とりわけ人の命を秤に載せるっていうのは、なんだか変な気がして、それがそもそも載せていいのかっていうあなたが感じた嫌な感じだと思う。レバーを引くっていうのは、自分が人の命を秤に載せて量っちゃったっていうことだから、その違和感みたいなのがあるんだと思うんだよね。
 
黒川:哲学を学ぶ本質って、いろんな考え方を咀嚼してそれを自分のものにしていくっていうところにあるんですか?
 
脇坂:哲学って、そもそも何をしてるのか、説明しづらいんですよね。クリティカルシンキングができるって言われるけど、他の分野でもできるし。物事をより深く捉えることができるっていうのが哲学の特徴なんですけど、その深くっていうのが、ちょっと普通の深さじゃなくて面白いんですよね。
(※トロッコ問題……走っているトロッコの先には5人の人がいて、そのままではひかれて死んでしまう。あなたが目の前のレバーを引けば、トロッコの行き先は1人だけがいる線路に切り替わる。あなたはレバーを引くべきか、というような倫理学上の思考実験。)

PROFILEプロフィール

  • 脇坂 真弥

    文学部 哲学科 准教授



    1964年広島県生まれ。1996年京都大学大学院文学研究科博士後期課程宗教学専攻満期退学。2000年博士(文学)。2003年より東京理科大学理工学部教養教員を経て、2014年より大谷大学文学部准教授。
    倫理は善悪や正不正に関わる規範の問題である。こうした規範は単なる主観的なものではなく、そこには何らかの普遍的基準がある。この基準を知り、それに自ら従う自律(自由)、逆にそこから逸れてしまうこと(悪)などの問題を、カントやヴェイユの宗教哲学から考えている。



  • 他大学を辞めて、オープンキャンパスで知った大谷大学が自分に合っていると思い、入り直した。先生との距離が近い環境で念願だった哲学を学べていることが今の喜び。ゼミでの問いに頭を悩ませ、友人の発言に刺激を受け、考えを深める過程を楽しいと感じている。
    関心の赴くままに新しいことに挑戦しながら、自分を見つめる過程で見えてくるものと、頑張らなくても自分の中に残っていくものを大切にして、学びの4年間を丁寧に過ごしている。