他大学を辞めて哲学科に入り直してきた黒川さんは、先生との距離が近い環境で念願だった哲学を学べていることをとても喜んでいます。ゼミでの問いに頭を悩ませ、友人の発言に刺激を受け、考えを深める過程を楽しいと感じています。関心の赴くままに新しいことに挑戦しながら、自分を見つめる過程で見えてくるものと、頑張らなくても自分の中に残っていくものを大切にして、学びの4年間を丁寧に過ごしています。

02 自分も人も、モノとして扱ってはいけない

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脇坂:なんで哲学をやりたかったの?
 
黒川:中学の時に知人がマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』っていう本をくれて、それを読んでみたら、自分が今まで考えてた内容が書いてあったんです。勉強するのに親からご褒美をもらうってことに関するインセンティブの問題とかを読んで、衝撃を受けてすごいなって思ったのと、カントの部分を読んで、もっと考えてみたいなと思いました。
脇坂:動機の問題か。例えば勉強するのに、親が子のテストの点が上がったらお小遣い上げてあげるよっていう話があったと思うけど、どう?
 
黒川:勉強が目的じゃなくて、お小遣いをもらうことが目的となってしまってるから動機としてよろしくないみたいな感じで書いてあったと思います。
脇坂:そうだよね。お小遣いをもらえなくなったら勉強しなくなるしね。カントの話はどこが面白かった?
 
黒川:自分をモノとして扱ってはいけないっていうのが。高校の時って、自殺とか売春とかっていう話が耳に入ってくるようになる頃だと思うんですけど、そういうことは自分も相手もモノとして扱ってるって。その考え方に支えられたことがあって。
 
脇坂:そうか。でも働くって、基本的に自分をモノとして扱うことやんね?例えば、私は学生さんをお金を稼ぐための道具にしてます。それは間違いない。学生さんは私を、勉強するための道具にしてます。それも間違いなくて、そういう意味では、互いをある意味モノ扱いしてるんだけど、モノとしてだけ扱ってるわけではないってところがあるやんか。それがカントの面白いところなんだけど。相手をモノ扱いするっていうことは、私たちが生きていくうえで絶対起こるわけ。でもそれだけではない。いつもそこが重なってるっていうのがカントの面白いところだね。また読んでみて。
 
黒川:はい。先生はなんで哲学を研究するようになったんですか?
 
脇坂:いろんな理由があるんですけど、最初は文学科で『源氏物語』を読んでたんです。本が大好きだったので、書庫にこもって幸せだったんですけど、周りに本当に『源氏物語』の世界が好きな人がいて。私、自分はそこまで好きじゃないなと思って。それで上田閑照先生っていう先生の授業を聞いた時に、ここで勉強してみたいなって思って、1年留年する形で哲学科の中の宗教学に転学科したんです。その後は一度働いたけど、やっぱり勉強したいなと思ってアルバイトしてお金貯めて大学院に行って。哲学って、もしかしたら真理なんかどこにもないかもしれないんだけど、それでも人にとってすごく大切なことって何かって考えるのが好きなんです。
 
黒川:そのなかでカントをやったのはなんでですか?
 
脇坂:カントは大哲学者なので、カントをやっておけば他のこともできるんじゃないかって思ったのが運の尽きで(笑)。上田先生が若い頃にカントを研究されていたってこともあったかもしれませんけど。

PROFILEプロフィール

  • 脇坂 真弥

    文学部 哲学科 准教授



    1964年広島県生まれ。1996年京都大学大学院文学研究科博士後期課程宗教学専攻満期退学。2000年博士(文学)。2003年より東京理科大学理工学部教養教員を経て、2014年より大谷大学文学部准教授。
    倫理は善悪や正不正に関わる規範の問題である。こうした規範は単なる主観的なものではなく、そこには何らかの普遍的基準がある。この基準を知り、それに自ら従う自律(自由)、逆にそこから逸れてしまうこと(悪)などの問題を、カントやヴェイユの宗教哲学から考えている。



  • 他大学を辞めて、オープンキャンパスで知った大谷大学が自分に合っていると思い、入り直した。先生との距離が近い環境で念願だった哲学を学べていることが今の喜び。ゼミでの問いに頭を悩ませ、友人の発言に刺激を受け、考えを深める過程を楽しいと感じている。
    関心の赴くままに新しいことに挑戦しながら、自分を見つめる過程で見えてくるものと、頑張らなくても自分の中に残っていくものを大切にして、学びの4年間を丁寧に過ごしている。