現在、医師、真宗大谷派僧侶として活躍されている本学大学院修了生の岸上さんに、大谷大学大学院での研究内容や魅力、学んだことを語っていただきました。

「人間として生きること」を学ぶ

岸上さんと宮下晴輝本学名誉教授(当時本学教授)
岸上さんと宮下晴輝本学名誉教授(当時本学教授)

箕浦:最初に、大学院進学を目指したきっかけについてお聞かせください。

岸上:お寺に生まれて、そろそろお寺を継がないといけないということで、最初はただ大谷派の教師資格を取るつもりで、社会人編入で仏教学科に入学しました。当時は、医師として10年ほど神経難病などを診る脳神経内科で働いていまして、医療の現場では、生活が出来なくなったり、重篤な病気の方もたくさんおられました。いろんな問題が起こってくるんですけれども、特別何かそれに応えようとか、その問題を尋ねようとかと思って大学に来たわけではありませんでした。最初は、仏教と医療の現場の問題はあまり関わりを感じていなかったんですけれども、大谷大学に入って、仏教が問題にしていることは、まさに医療の現場で日々患者さんが向き合っている問題を扱っている、ということを知ったんです。

箕浦:その問題を感じられたのは、何がきっかけでしたか。

岸上:当時大谷大学で教授をされていた宮下晴輝先生のもとで仏教を学んだことが、非常に大きかったです。先生の学びは、ただ仏教を知識としてではなく、人間が生きるとはどういうことなのか、自分が苦悩の中をどう生きていくかを課題とするものでした。仏教というのは、人間として生きるとはどういうことなのかを学ぶものなんだと知りました。
医学は、とにかく対象化して分析して患者さんの問題として学ぶので、病気のことは詳しくなるんですけど、「人間のことを学ぶ」ということにはなっていなかった。そのことを知ったので、2年の学びだけで終わらせるのは足りないなと思って、大学院へ進みました。

箕浦:唯識だとか大乗仏教というものの誕生について、どんな課題で、どんなことに対峙してそういった思想が生まれてくるのか、確かめてみようということだったんですかね。

岸上:そうですね。実家がお寺ですから、仏教の言葉自体はある程度耳にするんですけど、言葉ばっかり入ってきて、それがいったい自分が生きるということとどう関係するのかが、全然つながってこなかったんです。一つ言葉が出てくる背景に、生きることに苦しみ抜いた人の智慧が結晶して言葉になっているということを知りました。ですので、より厳密に確かめていきたい、ということがありました。

箕浦:大学院からではなく、編入からの道を選んだのはなぜでしょうか。そして大学院での研究はどのような内容でしたか。

岸上:真宗学科か仏教学科で大分迷いました。親鸞聖人の教えを学びたいというのはあったんですけど、その前に仏教の根本というか、仏教とはそもそも何なのかを確かめたくて。
例えば、仏教学ですと語学の学びも必要で、原典を読もうと思ったらサンスクリット語やパーリ語、翻訳だったらチベット語もやらないといけないとなったときに、大学院からではついていけないんじゃないかという気持ちがあって、学部で仏教学の基礎から学ぼうと思いました。
大学院の進学後は、『大乗荘厳経論』を中心に、唯識思想の初期のところを研究しました。思想として言葉が固まっていく過程の初期段階にあるような書物を通して、教義として定まっていくまでの思想的背景を学びました。特に、因相という言葉を中心に、唯識思想の背景を読み解くというような研究でした。

大学院は自分の課題を尋ねる場所

本学総合研究室で研究に励む岸上さん
本学総合研究室で研究に励む岸上さん

箕浦:岸上さんはもともと医師をしながら学ばれて、修了後も同じ仕事をされているわけですけど、どんな思いで引き続いてそこで仕事をしていこうと思われたのか、背景や理由をお話いただけますか。

岸上:大学病院から派遣されて、週に何回か外部の病院にも勤務していましたが、今の職場は、その勤務先のうちの一つです。
大谷大学に来たときは、教師資格を取るために授業もほとんど埋まっていましたし、そもそも家を継ぐために、医者の仕事を辞めるつもりでしたので、大学の医局は辞めて大谷大学に来ました。
学部の学びのなかで、仏教を学ぶことが医療の現場でもまさに問題になっていることにつながると知ったことから、仏教で学んだことを医療の現場で確かめて、また医療の現場で問われたことを仏教に尋ねるというような形を取りたいと思い、医者の仕事も続けながら大学院で仏教を学ぶことにしました。

箕浦:大学院の時に仕事を持ちながら学ばれるのは、おそらく大変だったと思うのですが、こなせましたか?どうでしたか?

岸上:論文提出の締切が迫ってくると、診察の合間に論文を書きながら、というような時もありました。患者さんが「死んでしまいたい」「生きられない」という切実な問題を抱えている横で、今仏教で学んでいることは、それにどう答えていくのだろうか、というようなことは、どうしても頭の中にありました。論文で問題にしていることが、直接その患者さんの答えになるわけではないので、ギャップみたいなものを少し感じたりしました。
けれども逆に現実の問題だけ見ていても、そこに道が開けてこないこともあります。仏教の長い歴史の中で培われてきた思想のなかには、人間として抱えている問題に応えていく素地のようなものがあって、そこから学びたいということがありました。直接問題に応えることにつながるわけではないですが、医療の現場は多忙ながらも、それが研究意欲を支えたということもありました。

箕浦:
岸上さんの場合は現場を持ちながら学ぶ、学びながらまた現場を持つ、両方に意味があったということですか?

岸上:大学院という場所が、自分の課題を尋ねる場所となったということですかね。単に自分の関心、興味だったり好奇心だったり、知識を増やしたいということではなくて、現場から立ち上がってくるような問題を確かめることができるということが大きかったのかなと思います。

苦悩に立ち止まり、確かめる力

医師、僧侶としても活躍されている岸上さん
医師、僧侶としても活躍されている岸上さん

箕浦:学生時代に学べたことは何でしょうか。また今にどう生かされていますか?

岸上:医学の学びというのは問題解決型というか、苦しいことがあったら無くそうという発想なんです。もちろんそういうことに取り組んでいくというのも大事なんですけど、苦しみをなくそうなくそうとすることばかりで、じゃあその苦しみを誰が見てくれるんだ、その声を誰が聞いてくれるんだという問題があるんです。なくそう、なくそうという立場でいくと、苦しみを確かめる場所がないし、誰も確かめてくれない。
仏教の学びというのは、そこにちょっと立ち止まって、苦しみをなくしたいというのはもちろんあるんだけれども、一旦その苦悩というものに、どんな意味があるのだろうか、人間にとってどれぐらい大事な意味があるんだろうか、そういうことを確かめる力になることを学ばせてもらいました。

箕浦:仏教の学びが「苦悩に立ち止まり、確かめる力」という、人として力を養うという意味があったと言っても良いんですかね。

岸上:医療の現場っていうのは、ものすごく忙しいので、少し油断するといろんな問題がスーッと流れてしまうし、立ち止まれない。仏教の学びは、そういう意味で一つの大きな基礎となったというか、自分の立つ場所というか、帰る場所というか、そういうものが持てたと思いますね。それを学ばずに医療の世界にいたとしたら、すごく大事なことをどんどんどんどん見ずに過ごしてきたんじゃないかなとも思います。
例えば、認知症の人が見ている世界というか、悩んでいること、苦しんでいることも、ただ単に認知症だからという形でしか、たぶん見られなかったでしょうし、神経難病の患者さんの声に対しても、例えば精神的な問題が出ているから、単に薬を出して状態を良くしましょう、というような発想しかできなかったと思います。

大学院で学ぶ方へのメッセージ

箕浦:人文系の大学院に進学した後「就職先ってあるんだろうか」「それが私の人生の中でどう役に立つんだろうか」というような質問が、どうしてもあると思うんですけど。岸上さんなりに伝えられることはありますか。

岸上:大学って、役に立つことを学びに行く所、就職に有利になる所ということばかりになってしまっているのかなと。でも僕のような医師の仕事を、仏教のような学びなしにしていたら、業務をこなすとか、お金を稼ぐということだけになってしまう。そこに人間として何をすべきなのか、という視点がなくなったときに、どこかで行き詰まるんじゃないかと。自分の経験からすれば、僕は行き詰っていたんじゃないかということがあるので。
そういう意味で、大学ではキャリアのための学びももちろん大事だろうと思いますけど、それだけではないような、大谷大学の言い方で言えば、「人間学」というような、そういう学びをすることの大事さをお伝えしたいなと思います。
大学院、特に専門的な分野というのは「何の役に立ってるんだ?」とよく問われると思いますが、直接的に役に立つ、立たないということより、その役に立つか立たないかと言っている人間が生きるということを「支える」ような学びが大事なのかなと思います。

PROFILEプロフィール

  • 岸上 仁(Kishigami Hitoshi)

    大学院 博士後期課程 文学研究科 仏教学専攻

    大谷大学文学部仏教学科入学(第3学年編入/2010年4月)
    大谷大学文学部仏教学科卒業(2012年3月)
    大谷大学修士課程文学研究科仏教学専攻修了(2014年3月)
    大谷大学博士後期課程文学研究科仏教学専攻修了(2020年3月)

    医師(脳神経内科医)、真宗大谷派僧侶
    現在は、兵庫県尼崎市と京都市北区の病院にて神経難病、認知症外来、頭痛外来などの診療にあたっている。

  • インタビュアー/箕浦 暁雄 教授

    文学部仏教学科/大学院人文学研究科仏教学専攻