2021年度 大谷大学文藝コンテスト

【小説部門】受賞作品

最優秀賞

希望
月吉 郁/私立愛光高等学校 第2学年

講評
物語の背景は、単純ではない。シーンが重なり濃密にしつらえてある。その描写の構築がきわめて丁寧で、ひきこまれていく。丁寧さの根拠が、切実なのであろう。小説の本質とも言える、虚構の実在感が、こまやかな描写に息づいている。
言葉が、生きている。この生命力をはらんだ表出のすみずみに、物語性から横溢した「希望」の気があふれ出している。懸命に生きていくための、人間の悲嘆とそこからの彼方への視線。そう読者に共鳴をうながす力こそが、作者の筆力であることに納得する。蝉、月、列車の去る音、五感へのここちよい刺激も美しく。堪能した。
(詩人・文筆家/文藝塾講義 講師 萩原 健次郎)

優秀賞

evil
大久保 杏咲/徳島県立城東高等学校 第3学年

講評
「悪の対義語って何だと思う?」という書き出しから、作者特有のリズムのある話法にひきこまれた。主人公の名は、「青空」と書いて、「あく」、題名の「evil」をアナグラム風に逆書きすると「live」になるというレトリックが、物語の柱として周到に構えられている。
この感興のぜひは別として、作者は、少年と少女の出会いを通して、終始求心的な熱を帯びながら、「悪」という一般的な概念を浮き立たせ解体していく。その語り口と展開が、なめらかだ。綿密に仕立てられていることを評価したのではない。作者自身の肉声が全篇に響いていたからなのだ。
(詩人・文筆家/文藝塾講義 講師 萩原 健次郎)
追悼
髙田 藍/私立同志社高等学校 第2学年

講評
一読して、奇妙な読後感にとらわれた。奇妙さに、ずっと心が動いて熱くなっていった。書かれている言葉でも文体でもなく書かれていない、空白へ誘われていった。
冒頭、「花を二束」買ってという記述に少しとまどった。語り手の知人の墓参へ行くのだが、その父親の墓参に来た時のことを回想する。話の終わりに、知人の死が語られる。「二束」の不思議がわかる。
「家族でもない」「関係性に名前をつけなかったのは私だった」という記述に、胸が締めつけられる。文藝としての、迫る力が、作品の空白に充満している。人と人の関わりとは何かと、厳しく問われた。
(詩人・文筆家/文藝塾講義 講師 萩原 健次郎)

大谷文芸賞

詫言
中村 文音/私立二松学舎大学附属高等学校 第1学年

講評
『詫言』を物語の中に入って、拾い上げるように読んだ。これを推すのには勇気が要った。この話は適度な余白があって、奇妙だった。二人居る語り手のどちらも不気味な人として読めたのは、最後の一文のせいかもしれない。どちらにせよ、僕はこれを、ただならぬ空気を内包した作品として読んだ。
もちろん僕が強引にそう読んだだけで、作者の意図は全く別の場所にあったのかもしれない。 そうだったら、ごめんなさい。
いずれにせよ、この書き手はこれからまだ伸びる人だと思います。なので、一年後も書いてくれていたらと思うばかり。
(学生サークル 大谷文芸)

奨励賞

大ちゃんの麦わらぼうし
井上 明香里/私立筑紫女学園高等学校 第3学年

招き猫
城上 多聞/私立青翔開智高等学校 第1学年

百足
浪花 小槙/東京都立豊多摩高等学校 第1学年

講評
奨励賞となった、三作と優秀賞の作品に明確な差はない。『招き猫』『大ちゃんの麦わらぼうし』『百足』ともに、書くことと、書き切ることに自身の情熱を尽くしていることがよくわかる。三作をまとめて言及することは難しいが、たとえば読後の余情という尺度で言えば、語りの手際が、いくぶん単純で読者に与える重層的な切迫力に欠けると感じた。もちろん、この三作ともに、寓意をともなった物語構築は、綿密であるかもしれない。ただ、寓意性や物語は、作者の一作に託した主眼ではないだろう。主眼は、行間や構築のために設えた幾筋もの柱の隙間に貫いてあらわれるものなのだ。
今回の応募作を精読して、総体的に感じたのは、作品が、寓意性や物語性の枠組みに終始して、そこに吸収されているという印象だった。極端に言えば、寓意に頼り、書くことが手にあまり、その結果、作品を貫く作者の主眼や主旨が、薄まって見えなくなっていた。
短編小説には、貫いたその先に、読後の感動や惑動がある。それを期待したい。
(詩人・文筆家/文藝塾講義 講師 萩原 健次郎)