【専門分野】
社会学/文化人類学/民俗学/博物館学芸員資格(民俗)/専門社会調査士
【研究領域・テーマ】
エイジング/ライフヒストリー/生活の中の宗教/日本研究

当たり前の「米の飯」
米価の値上がりのなか、連日「米」を巡るニュースが報道されている。日本人の米離れが指摘されて久しいが、やはり「米の飯」はわたしたちにとって特別な存在であることを実感させられる。
卑近な例で恐縮だが、子どもの頃は家で食事としてパンを出してもらえることはまれで、遠足などの際のお弁当もほとんどご飯だった。「半ドン」(午前で授業が終わることを当時そう呼んでいた。由来には諸説ある)だった、土曜日に当時暮らしていた団地に来る移動販売のパン屋で時々パンをひとつふたつ、パックのカフェオレと一緒に買ってもらえることがささやかな楽しみでもあった。運動会や遠足の時は、当時小食だったこともあってだろうか、食べやすいよう一口サイズのおにぎりを早朝からたくさん作ってくれた母には今更ながらに頭が下がる。
そのため私にとってご飯食は当たり前のものだった。だが大学進学後は家族で朝食をとることがほとんどなくなった。その時からだろうか、朝食にパンを食べることが多くなった。麺食も好きなので、昼食でも夕食でもご飯を食べる頻度は下がった。とはいえ、ご飯食で育ったためだろう。一日一食はご飯を食べないと食事をした気がしなかった。そして郷里を離れ、年齢を重ねた今ではまたご飯を食べることが多くなった。
日本民俗学の父・柳田國男は、稲作文化を重視し、日本では「ハレ」(祝祭など「非日常」を指す民俗学用語)の日に米が欠かせないと述べた(柳田國男1913「山人外伝資料」『柳田国男全集』第四巻)。今のわたしたちにとって米は「褻」(「日常」を意味する民俗学用語)の食べ物でもある。その「日常」が今揺らいでいる。「米」を巡るニュースをきっかけに、当たり前のありがたみを見つめ直したい。
卑近な例で恐縮だが、子どもの頃は家で食事としてパンを出してもらえることはまれで、遠足などの際のお弁当もほとんどご飯だった。「半ドン」(午前で授業が終わることを当時そう呼んでいた。由来には諸説ある)だった、土曜日に当時暮らしていた団地に来る移動販売のパン屋で時々パンをひとつふたつ、パックのカフェオレと一緒に買ってもらえることがささやかな楽しみでもあった。運動会や遠足の時は、当時小食だったこともあってだろうか、食べやすいよう一口サイズのおにぎりを早朝からたくさん作ってくれた母には今更ながらに頭が下がる。
そのため私にとってご飯食は当たり前のものだった。だが大学進学後は家族で朝食をとることがほとんどなくなった。その時からだろうか、朝食にパンを食べることが多くなった。麺食も好きなので、昼食でも夕食でもご飯を食べる頻度は下がった。とはいえ、ご飯食で育ったためだろう。一日一食はご飯を食べないと食事をした気がしなかった。そして郷里を離れ、年齢を重ねた今ではまたご飯を食べることが多くなった。
日本民俗学の父・柳田國男は、稲作文化を重視し、日本では「ハレ」(祝祭など「非日常」を指す民俗学用語)の日に米が欠かせないと述べた(柳田國男1913「山人外伝資料」『柳田国男全集』第四巻)。今のわたしたちにとって米は「褻」(「日常」を意味する民俗学用語)の食べ物でもある。その「日常」が今揺らいでいる。「米」を巡るニュースをきっかけに、当たり前のありがたみを見つめ直したい。
PROFILEプロフィール
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後藤 晴子 准教授