【専門分野】
西洋哲学
【研究領域・テーマ】
西洋哲学/古代ギリシャ哲学

戦後80年、ヒロシマ、そしてナガサキ
年に何度か広島を訪れている。訪れるたびに欠かさず行く場所は、平和記念公園と原爆ドームだ。
私が小学生のときの修学旅行先が広島だった。当然この場所にも来ている。ここで被爆者の方々から直接お話を伺ったり、原爆ドームの内部まで皆で見学させてもらったりした。大人になって再訪したとき、改めて認識したのは、現地で実際に触れることの大切さである。そうでないと感じとれないものがあるのだ。
何十年ぶりで平和公園を訪れたときのこと—。
青空の下、遠くに原爆ドームが見えた瞬間、感情が激しく揺さぶられた。一瞬でいわばタイムスリップし、私は燃え盛る炎と焼け野原のなかを、焼け残るドームの方へと、重い足取りで歩いていた。なんということをしてしまったのか。目を逸らすこともできない厳然たる現実を、原爆ドームは訴えているかのようだった。
平和記念資料館では、教師という職業柄だろうか、展示資料のなかでも、ある教員の遺書に目が止まった。引率先で被爆し、重いやけどを負ったその教員の遺言を、救護所の学生が鉛筆で代筆したものだった。何気なく少し読んでみると、読める。読めるどころか、言葉を通してそのかたの思いが、息吹が、じかに伝わってくる。時間・空間を超えて、見ず知らずのそのかたの魂に触れた気がした。
—その日帰るときには、かつて広島で起こったことが、もう他人事ではなくなっていた。
「戦後80年」を前に、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞した。混沌とした国際情勢のなか、日本や世界中の人たち(とくに政治家や指導者)が「被爆の実相」に目を向け、平和を考える機縁となるよう心から願う。私自身としては、あらゆる記号化・抽象化に抗して、一つ一つの具体的な場所や事物、一人一人の体験や言葉などから、細やかに何かを感じとり考え続けること、これが大切だと思う。だから、また広島を訪れたい。そしてまだ行ったことのない長崎へも。
私が小学生のときの修学旅行先が広島だった。当然この場所にも来ている。ここで被爆者の方々から直接お話を伺ったり、原爆ドームの内部まで皆で見学させてもらったりした。大人になって再訪したとき、改めて認識したのは、現地で実際に触れることの大切さである。そうでないと感じとれないものがあるのだ。
何十年ぶりで平和公園を訪れたときのこと—。
青空の下、遠くに原爆ドームが見えた瞬間、感情が激しく揺さぶられた。一瞬でいわばタイムスリップし、私は燃え盛る炎と焼け野原のなかを、焼け残るドームの方へと、重い足取りで歩いていた。なんということをしてしまったのか。目を逸らすこともできない厳然たる現実を、原爆ドームは訴えているかのようだった。
平和記念資料館では、教師という職業柄だろうか、展示資料のなかでも、ある教員の遺書に目が止まった。引率先で被爆し、重いやけどを負ったその教員の遺言を、救護所の学生が鉛筆で代筆したものだった。何気なく少し読んでみると、読める。読めるどころか、言葉を通してそのかたの思いが、息吹が、じかに伝わってくる。時間・空間を超えて、見ず知らずのそのかたの魂に触れた気がした。
—その日帰るときには、かつて広島で起こったことが、もう他人事ではなくなっていた。
「戦後80年」を前に、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞した。混沌とした国際情勢のなか、日本や世界中の人たち(とくに政治家や指導者)が「被爆の実相」に目を向け、平和を考える機縁となるよう心から願う。私自身としては、あらゆる記号化・抽象化に抗して、一つ一つの具体的な場所や事物、一人一人の体験や言葉などから、細やかに何かを感じとり考え続けること、これが大切だと思う。だから、また広島を訪れたい。そしてまだ行ったことのない長崎へも。
PROFILEプロフィール
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西尾 浩二 准教授