【専門分野】
体育科教育学/教師教育学/和文化教育学
【研究領域・テーマ】
体育科教育/教師教育/授業研究/和文化教育

学校プールから失われていくもの
「私、〇〇市出身なので水泳だけは自信があります」と学生に言われることがある。その市では小学校の時に臨海学舎があったため、プールでも海でも泳げるということだ。
現在、水泳授業を校外の施設で実施したり、民間のインストラクターに委託したりする傾向が広がっている。学校プールが建設されてから40~50年経っており、改築時期を迎えていることや教師の負担軽減のためである。また、学校週五日制により学校行事が削減されていく中で、多くの学校で臨海学舎も行われなくなった。
小学校の教員をしていた頃、勤務校には臨海学舎があった。海で完泳できるようにプールで十分に泳いでから海に向かうのだが、初日は子どもたちの顔に不安が広がる。海とプールでは怖さが全く異なるからだ。そのような子どもたちでも、臨海学舎の最終日には自信満々に海で泳げるようになる。その際、ちょっとした子どもの変化があった。泳げないときには、「無理」「もうダメ」などの自分に関する言葉を発するが、泳げるようになると「みんな頑張ろう!」「(ペアに対して)大丈夫!」のように他者を励ます言葉を発していた。泳げるようになった自信が他者に向けられたという見方もできるだろうが、自分自身を心配する段階から他者を心配できる段階へ成長したからこそ、海への恐怖を克服したともいえる。
冒頭の学生の「水泳だけは自信があります」の言葉には、学生の人間的成長や関わった教員の指導技術など、単に泳げるという技能だけではない学校プールで受け継がれてきた教育的価値も含まれている。臨海学舎がなくなり、学校プールも民間委託になった場合、学校プールで受け継がれてきた教育的価値は途絶えることになる。一度途絶えたものは、なかなか元には戻らない。学校プールが転換期にきている。
現在、水泳授業を校外の施設で実施したり、民間のインストラクターに委託したりする傾向が広がっている。学校プールが建設されてから40~50年経っており、改築時期を迎えていることや教師の負担軽減のためである。また、学校週五日制により学校行事が削減されていく中で、多くの学校で臨海学舎も行われなくなった。
小学校の教員をしていた頃、勤務校には臨海学舎があった。海で完泳できるようにプールで十分に泳いでから海に向かうのだが、初日は子どもたちの顔に不安が広がる。海とプールでは怖さが全く異なるからだ。そのような子どもたちでも、臨海学舎の最終日には自信満々に海で泳げるようになる。その際、ちょっとした子どもの変化があった。泳げないときには、「無理」「もうダメ」などの自分に関する言葉を発するが、泳げるようになると「みんな頑張ろう!」「(ペアに対して)大丈夫!」のように他者を励ます言葉を発していた。泳げるようになった自信が他者に向けられたという見方もできるだろうが、自分自身を心配する段階から他者を心配できる段階へ成長したからこそ、海への恐怖を克服したともいえる。
冒頭の学生の「水泳だけは自信があります」の言葉には、学生の人間的成長や関わった教員の指導技術など、単に泳げるという技能だけではない学校プールで受け継がれてきた教育的価値も含まれている。臨海学舎がなくなり、学校プールも民間委託になった場合、学校プールで受け継がれてきた教育的価値は途絶えることになる。一度途絶えたものは、なかなか元には戻らない。学校プールが転換期にきている。
PROFILEプロフィール
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栫井 大輔 准教授