国籍のない家族

1年間の在外研究先のアメリカで、一人のウクライナ人男性と知り合いになった。彼とはほぼ毎日顔を合わせ、年齢も近いせいか互いの下宿を行き来し、夕方になると時にはワインを飲む仲となった。ロシア軍によるウクライナ侵攻後に、彼はイスラエルを経てアメリカへ渡ってきた。ウクライナ生まれのウクライナ育ちであるが、侵攻直前までは仕事の関係で長くロシアに住んでいた。侵攻後はウクライナに帰って抵抗戦に加わりたかったのだが、ウクライナ政府がそれを許さなかったのだそうだ。誰がスパイなのかの調査が困難なため、ロシア在住のウクライナ人には帰国許可が下りなかった。

彼には高校生の娘がいる。移住先にアメリカを選択した理由もそこにあった。彼女には今、アメリカの大学に進学したいという希望がある。しばらくすると彼は、奥さまがロシア人であることを教えてくれた。はじめはちょっと驚いたが、両国の関係を考えると自然なことなのだろう。両国の関係は長く深く、国境を越えて多くの人々が行き来をしていた。したがって彼には家族を連れてウクライナに戻るという選択肢はそもそもなかった。ロシアに残ることも、もちろん彼らにはできなかった。行き場を失い、家族でアメリカにやって来たのだ。

ウクライナ人の父とロシア人の母を両親にもつ娘さんの国籍はロシアなのだという。私が聞いたから、敢えて彼は答えてくれた。しかし、それは単なる法律上の約束事でしかない。娘さんには何の意味もない表示である。父親の国と母親の国は戦闘状態にあり、共に祖国を追われて行き場を失っている。国籍は私たちにとって何の意味があるのだろうか。
人と人とを分断させるだけなら、もう無い方がいい。かつてジョン・レノンもくり返し訴えたように。

静かで平和な友人家族は、国籍に意味などないことを私に教えてくれた。

PROFILEプロフィール

  • 木越 康 教授

    【専門分野】
    真宗学/宗教学

    【研究領域・テーマ】
    真宗学/キリスト教との対話的研究/宗教学