「世界基準」と「個の力」

いま、ワールドカップサッカー・カタール大会の準々決勝「クロアチアvsブラジル」の中継を見ながらこの原稿を書いている。日本代表が惜しくも敗れたクロアチア代表だが、王者ブラジル相手に大善戦どころかPK戦に持ち込んで勝ち切ってしまった。日本代表がベスト8に進んで対ブラジル戦でどこまでやれるかも見てみたかったが、両者の戦いを見るに、今回躍進した日本代表チームもこの舞台に立つにはまだまだ、といったところであろうか。

ところで、今回のカタール大会の日本代表に関する報道や論評を見ていて、いくつかのキーワードを繰り返し耳にした。例えば、「個の力」。集団としての「結束力」や個々人の「献身性」に日本人選手の特長がある反面、強い自己主張とともに独力で打開するような力強さを欠く、とされてきた。今回の日本代表チームはそれぞれの選手が強豪国を相手にしても物怖じせず、当たり負けしなかったが、代表チームのメンバーの多くが「海外組」であり、皮膚感覚として「世界基準」を血肉化していたことによるのであろう。ドイツやスペインの主力選手との対戦が「日常」「普段事」になっている選手たちがチーム全体を底上げしていた。

「海外組」のサッカー選手たちも、渡航先の国では「外国人労働者」である。ここのところ、日本の外国人受け入れ政策について研究をしているのだが、改善すべき点がまだまだある。将来的に日本の人口減少がさらに進み、外国からの来住者の力も借りなければ社会が回らない時代がやってくるのだが、現状の日本は、多くの外国人労働者にとって働きやすい国とは到底言えない。「グローバル化」が進む日本社会だが、その仕組みの部分で「世界基準」に達していないところがたくさんある。一社会学徒として、そうした部分の底上げに貢献できるような仕事をしたいと思っているところだ。


PROFILEプロフィール

  • 徳田 剛 准教授

    【専門分野】
    地域社会学/社会学理論/宗教社会学/専門社会調査士

    【研究領域・テーマ】
    よそ者(ストレンジャー)と地域コミュニティ/多文化共生社会論(特に地方都市・中山間地域)/人口減少地域に立地する仏教寺院のあり方