ペトロフ氏のこと

1990年3月、大学生の私は友人2人とともに、当時レニングラードと呼ばれていたサンクト・ペテルブルグから、リトアニアの首都ヴィリニュスに向かう車中にあった。2段の寝台が向き合って半個室状になった区画には、私達3名の他に、もう1人、中年から初老といった容貌の乗客がいた。私達のロシア語は、キリル文字をどうにか読める程度だったが、彼はドイツ語が話せた。私のドイツ語はお粗末だったが、友人の1人は私よりもドイツ語が達者で、片言のドイツ語でのやり取りが始まった。

彼はキエフ(キーウ)在住のウクライナ人で、名をペトロフといった。世間話などする中、ぽつりぽつりと、ロシア人に対する不満がこぼれてきていた。曰く、「ウクライナ人やポーランド人やドイツ人はちゃんと働くが、ロシア人は怠け者だ」「ウクライナ人が働いて作ったものをロシア人がみんな持っていってしまう」と。

当時の私達は漠然と、「バルト三国などとは異なり、白ロシア(ベラルーシ)やウクライナはロシアと一枚岩みたいなものだろう」くらいに認識していたので、ペトロフ氏の物言いには驚きを感じた。
この旅の後、ほどなくソヴィエト連邦は瓦解し、時を経て、ロシアとウクライナは戦いの最中である。開戦のそのときまで、私を含め、世界の多くは、まさかこの両国が戦争を始めるとは考えていなかった。ただ、対立の過程を見る中で、私はペトロフ氏のことを思い出していた。

ペトロフ氏の認識がウクライナ人の代表的意見、と断じてしまうのもまた危うさがある。他国の事情を知るには、いろんな人の話を聞いたり、文献などから情報を得たりする必要がある。当時のソ連から得られる情報は残念ながら限定的で、外国人が国内を自由に旅することもできなかった。この旅の手配もいささか面倒だった。その後、こと旅行に関しては、ロシアはおおむね自由に行ける国になった。今回の戦争を経て、また行きにくい国になってしまうのだろうか。

PROFILEプロフィール

  • 酒井 恵光 教授

    【専門分野】
    計算機科学(グラフィカルユーザインターフェイス)

    【研究領域・テーマ】
    ユーザインターフェイス/情報の可視化/インタラクティブ・システム