言葉の不思議

先日「コーダ あいのうた」という映画を見た。コーダ(CODA)とは、Child of Deaf Adultsの略で、聴覚障害のある親を持つ聴こえる子ども、という意味となる。映画は、自分以外の家族が聴覚障害者である、という高校生の女の子が主人公だ。聴覚障害のある家族が使うのは手話。聴こえる主人公が使うのは音声言語だ。彼女は幼い頃から、手話と音声言語を使う人の間に立ち、通訳を担ってきた。

実は、聴覚障害者の全てが手話を使っているわけではない。聴覚障害といっても聴こえる程度も様々だし、今日では補聴器の性能が向上したことや音声を文字化するアプリなどの開発によって、手話を使わずに生活する人も多くなっている。しかしそれでも手話は、豊かな表現力を持った聴覚障害者の言語として存在している。

この映画では、主人公が自分の気持ちをうまく表現できない場面で手話を使って話していた。主人公は、うまく言葉にできない思いを手話でなら表現できたようだった。幼いころから家族と共に語り合った手話は、彼女には自分を表現できる言葉として位置づいていたのかも知れない。そしてその場面は、字幕がなくても、手話を詳しく知らない私達にも、理解できた。おそらく、あの手話を文字に置き換えても、あの手話通りの表現にはならないだろう。手話は本当に美しく心に迫る表現力を持っていると思う。

言葉は不思議だ。言葉にしなければ伝わらないことはたくさんある。言葉は意味に私たちの気持ちを乗せて、相手にたくさんのものを伝えている。その一方で、どれほど言葉を尽くしても表現できないこともある。そして、手話だからこそ伝えられることもある。きっとたくさんの言葉を知ると、相手のことも自分のことももっと深く理解できるようになる。そうして理解が深まれば深まるほど、世界はもっと豊かになるのではないだろうか。
 

PROFILEプロフィール

  • 中野 加奈子 准教授

    【専門分野】
    社会福祉学(社会福祉援助技術論/貧困問題/医療福祉/生活史研究)

    【研究領域・テーマ】
    ソーシャルワーク/生活史アプローチ/ホームレス問題