自由の落とし穴

子どもの頃、周囲にいくつも「空き地」があった。学校から帰ると、「空き地」で野球をした。秘密基地をつくった。落とし穴を掘った。「空き地」と呼んでいたが、誰かその土地の所有者がいたはずである。けれども、子どもにとっては、管理されない場所であった。何にも縛られず、「自由」にしていられる場所であった。

少し大きくなってからも、学校や家に縛られるのを嫌い、ときには「空き地」で寝転がった。せいいっぱい背伸びをして、「空き地」でいろんな書物を読み、音楽を聴き、空想に耽った。「自由」と言っても、例えば「自由」をめぐる哲学の議論を知っていたわけではないし、当時話題となった新自由主義について十分に考えられたわけではない。何にも邪魔されず最大限に個人の力を発揮していける世界が実現しさえすればよいというだけだった。

現在の政治や経済の状況を受けて、なにより新型コロナウイルス感染拡大に直面して以降、ますます新自由主義や市場原理主義に対する反省が論じられるようになってきた。それを受けて、絵本作家の五味太郎さんは、「ガキたち、これはチャンスだぞ」と呼びかけた。賢い頭と丈夫な体ではなく、「じょうぶな頭とかしこい体になる」ことが必要だと提案してきた人である。いまこそ自分の頭で十分に考えなくちゃいけない。世間であたりまえだと言われていることを、逆立ちして考えてみればよい。

いよいよ新学期である。学生たちと「じょうぶな頭とかしこい体になる」ために学んでみよう。10代の頃に求めていた「自由」は、考えるべきことがいくつも抜け落ち、まるで穴のあいたようなものだった。地面を踏みしめて自分の頭で考える必要がある。子どもの頃、「空き地」で友達とふざけて深い落とし穴を掘ったのをすっかり忘れてしまっていたことがあった。ある日また友達とそこで走り回って遊んだ。そして、自分たちがその落とし穴に落ちた。みんなで笑った。

PROFILEプロフィール

  • 箕浦 暁雄 教授

    【専門分野】
    仏教学

    【研究領域・テーマ】
    古代インド仏教思想/アビダルマ/世親『倶舎論』