名号の謂われを聞き開くと、皆悉く安養浄土に到る

人類の将来が極めて不透明になっている時代を生きている。地球温暖化により、生態が急激に変化し、100年先の地球のあり方を予測することが困難だけではなく、長らく続いてきた国際秩序が乱れ、今後の国際社会のあり方について思い描くことも難しくなった。

AIの急速な発展に伴い、高等教育のあり方、または人文学研究のあり方が大きく変わろうとしていることが見て取れても、その新しい形態について想像もつかない。宗教離れが進んでおり、寺院や教会の存続が危ぶまれる中、それに代わる組織体の姿について明確なビジョンはない。

真宗学科の教員として、このように時代をみつめ、「希望が持てない」と感じている中で、親鸞が引用されている次の言葉に触れて、新たな見方が開かれた。

弥陀の智願海は深広にして涯底無し。名を聞きて往生せんと欲えば、皆悉く彼の国に到ると。設い大千に満てらん火にも、直ちに過ぎて仏の名を聞け。名を聞きて歓喜し讃ずれば、皆、当に彼に生ずることを得べし。万年に三宝滅せんに、此の経、住すること百年せん。爾の時、聞きて一念せん。皆、当に彼に生ずることを得べし。(『真宗聖典』190頁~191頁)

親鸞は、善導の『往生礼讃』にバラバラに述べられている三行の偈文を一続きの文章として『教行信証』「行巻」に引き、世界がいかに混乱に陥っても、また仏教教団がいかに衰退しても、一度、阿弥陀仏の名号を聞くと、「皆」が安養浄土に往生することになるということを示している。

自身の自己中心的な期待や欲望をさて置き、この世で生を受けていること自体が、思いがけない恵みであるということに気づかされると、不安や憂えの種となっている様々な不確定要素は、私を安らかに養う不可欠なものとして受け止め直され、私も一切衆生も既に「真如一実の功徳宝海」のただ中にいることに頷くことができる。

PROFILEプロフィール

  • マイケル コンウェイ 准教授

    【専門分野】
    真宗学

    【研究領域・テーマ】
    中国浄土教/親鸞思想/近代教学