梅雨の季節に釈尊に学ぶ

梅雨の季節に入った。日本では例年よりもかなり遅い梅雨入りのようであるが、湿度が高い上に暑さも加わって、鬱陶しい想いの中で朝から仕事に出かける方も多いであろう。激しく降り続く雨に災害も心配されるが、梅雨の季節は、実は仏教者にとっては大切な時間の訪れでもある。<安居あんご>や<暁天講座ぎょうてんこうざ>が、全国各地の仏教教団や寺院で開催される。

<安居>は、釈尊の時代から行われてきた仏教の習慣である。高温多湿なインドの雨期は3カ月程も続く。とても通常の遊行生活を送ることができない仏弟子たちは、この間、一堂に会して釈尊の教えを聞いて修行に励んだとされる。その風習が仏教と共に東アジアに伝わり、梅雨のこの時期にあちらこちらの教団で、僧侶が一堂に会して集中的に釈尊の教えを学ぶ機会が設けられる。

<暁天講座>も、仏教に伝統される古い習慣である。釈尊が夜明け前、暁の空の下で悟りを開かれたことに因んで、暑い夏の早朝に、老若男女が一堂に会して釈尊の教えを聞く時を過ごす。涼しい早朝に静かな寺院に集まって、深く人間を見つめ、社会を見つめた釈尊の言葉に耳を傾け、忙しく生きる日常の自己のあり方を振り返る。

「深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。『ダンマパダ』」と釈尊は説く。「深い湖が、澄んで、清らか」であるように、私のこころは清らかであろうか。豊かさや便利さ、成功や快楽ばかりを求めて、とても「こころ清らか」ではいられないのが現実だろう。釈尊は次のようにも語る。「たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道からはずれることの無い人、かれこそ道を実践している人である。『同上』」。わずかでも釈尊の教えを聞く機会を持つならば、こころ清らかな道を求める実践者となることができる。特に一般に開放された<暁天講座>は、大谷大学はもちろん、今や京都の寺院の夏の風物詩である。

ネットで探して出かけてみるのも、いいのではないでしょうか。

PROFILEプロフィール

  • 木越 康 教授

    【専門分野】
    真宗学/宗教学

    【研究領域・テーマ】
    真宗学/キリスト教との対話的研究/宗教学