「祖母」という名の経典

その名も「祖母」という仏教経典がある。古代インド・コーサラ国王の波斯匿はしのくとその祖母にまつわるお経である。

ある真昼時、濡れた髪、乱れた衣服のまま、波斯匿が釈尊のもとに駆け込んでくる。釈尊は突然の来訪の理由を尋ねる。波斯匿は言う。高齢の祖母が亡くなり、その葬儀を終えたばかりなのです、と。

波斯匿は祖母がいかに大切で愛しい存在であったかを語る。もし祖母の命を取り戻すことができるなら、国土も軍隊も国宝も差し出すのに、と。

動揺する王に対し釈尊は言う。「人には死という性質(dharma)があり、人が死という性質を克服することはない」。

釈尊のことばは余りにも直截である。我々は憔悴する波斯匿に自身を重ねながらこのお経を聞く(読む)ため、その直截なことばにやや面喰らう。共に時間を重ねた愛しい祖母との死別は察するに余りある。

だが、包み隠さず事実が告げられる背景には、二人の親交がある。二人は同齢で、ともに王族の出身であり、波斯匿は釈尊に信頼を置いていた(だからこそ葬儀を終えて釈尊のもとに駆け込んできた)。

波斯匿にその真意が届いていないと見たのか、釈尊はさらにことばを重ねる。人は同じなのだ。老い、病み、死する身体をもって生まれ死ぬという点で、この国の最高権力者であるあなたも、如来であるわたしも、そして命を終えた祖母も、同じなのだ、と。

そのことばが、その真意が、どれほど波斯匿に届いたかはわからない。多くの経典はその後も変わらず傲慢で人間味溢れる人物として波斯匿を描いている。

祖母を亡くして数十年後、波斯匿は息子に王権を簒奪され、隣国に助けを求める途上で非業の死を遂げる。波斯匿が釈尊のことばを受けとめることができたのは、果たしていつのことであったのか。


私事にわたり恐縮であるが、先月に叔母を亡くした。早すぎる、突然の去り方であった。それゆえ私にとって、本経は「叔母」という名の経典でもある。ひとによっては「祖父」というお経ともなり、「父母」というお経ともなるのだろう。私はまだ、釈尊のことばを受けとめることができない。

PROFILEプロフィール

  • 上野 牧生 准教授

    【専門分野】
    仏教学

    【研究領域・テーマ】
    インド仏教/阿含経典/ヴァスバンドゥ/世親/『釈軌論』