体感、実感、共感すること

私が、保育園で働いていた時のエピソードである。ある夏の日、5歳児たちと園庭でスイカを食べていた。一人の子が、「スイカの種を植えたらスイカできるかな。」と、空いているプランターに自分の食べた種を植え出した。すると、次々他の子どもたちも真似をし、プップッと種を飛ばしながら、なんとも楽しそうな姿があった。私は、「まさかできないよね・・・」と思いつつ、期待を膨らませてその瞬間を一緒に楽しんだ。すると、驚いたことに数日後、芽を出し、その後花を咲かせ、実になり収穫するまでに至ったのである。子どもたちは、一つひとつの過程に興奮し、さあいよいよ直径15センチほどの小さなスイカをたべる時が来た。

ほんの少し赤くはなっていたものの、お世辞にもおいしいとは言えないスイカのかけらたちを子どもたちは、「おいしい!」と食べた。命のつながりを体感し(体で感じ)、実感し(心で感じ)、友だち同士で共感しながら見守った、その過程を含めて出た「おいしい!」という感想なのである。

コロナ禍でさらにICT化が進み、仕事が効率的にできることを知り、新たな人とのつながり方があることなど無限の可能性があることを知った。しかし、どれだけ科学が進化しても、子どもの世界は、アナログから始まる。目の前の小さな発見にわくわくし、試行錯誤しながら日々を過ごしている。保育者になる学生には、特にこの感覚を大事にしてほしい。授業で水遊びやおにごっこなどをするなど、わくわくしながら楽しさを体感、実感、共感してほしいのである。インターネットでさまざまな遊びや保育方法を簡単に調べることはできるが、自分自身が「楽しい!」「おもしろい!」と感じていないことを子どもたちに伝えてもうまくはいかない。進化しているようで退化している感覚があるのではないか。体感、実感、共感することの大切さを私は感じている。

PROFILEプロフィール

  • 尾場 幸子 講師

    【専門分野】
    保育士・幼稚園教諭

    【研究領域・テーマ】
    乳幼児の人間関係/保育/幼児教育/個と集団づくり