2024年4月 御命日勤行・講話 厳修

4月25日(木)10時40分より、4月の「親鸞聖人御命日勤行」を本学講堂において厳修しました。
勤行は、学長の調声のもと『正信偈』を唱和しました。その後、学生が感話を、藤枝真教授が講話を行いました。

「感話」及び「講話」で話された概要を、以下のとおりご紹介します。

学生による感話

大谷大学での学び

私は、真宗学科で浄土真宗について学んでいます。私は真宗についてこれまで、答えに学ぶ方法で授業を受けてきましたが、答えを知ってもよく理解できないことが多くありました。そのような疑問に対して、先輩方のおかげで疑問が解消されることはありましたが、そこからさらに新しい疑問が浮き上がることの連続で、改めて難しい学問に向き合っていると実感しました。

そのことから、私は真宗という学問は、命の在り方を学ぶものだと考えるようになりました。生きていくうえで大切なものを見つけていくことに取り組んでいる大谷大学の学びは、「問い続ける」ということが学びのテーマとしてあるように、問いを持つことの大切さを教えてもらいました。

本学教員による講話の概要

「神様」の誕生—ポピュラー文化と現代日本の宗教性—

文学部哲学科 藤枝 真 教授

藤枝真教授による講話の様子
藤枝真教授による講話の様子

藤枝教授の講話の主旨は以下のようなものでした。

今日の講話にかかわる「宗教学」という学問は、諸々の宗教現象を比較の観点から客観的に記述する研究であると言えます。マックス・ミュラーはゲーテの言葉を拝借しながら、「一つの宗教しか知らない者は、宗教を何も知らないのである」として比較宗教学を確立しました。かつて南条文雄(本学第2代学長)は、このミュラーのもとに留学し仏典研究を進めました。

現代日本人がもつ「神様」のイメージはどこからきたのでしょうか。もちろん日本には神道の神々が存在していますが、現代の生活の様々な場面で人々が口にする「神様」像を拾い上げていくと、伝統的な神道の神々がもつ神話的な物語に必ずしも依拠するものではないことに気づきます。人々がいだくイメージは、比較的シンプリファイされたものですが、それは「窮地から救い出し、願いを叶えてくれる神様」というものです。

現代日本の「神様」イメージが芽生えたきっかけの一つは、敗戦後の神道指令です。これによって神道の教えや実践の公式的な再生産は断ち切られました。その結果、「神様」のイメージは伝統的な文脈から離れ、宙に浮いたようなかたちになったととらえられます。

それと入れ替わるかのように、巷にあふれ始めた新しい「神様」イメージの典型は、歌謡曲のなかに見出されます。もちろん、日本の歌謡曲が影響を受けた欧米のポピュラーソングにも神のイメージは出てきますが、それらが表すものは一様ではなく、例えば「全知の神」「世界の創造主としての神」「神秘主義的な見神体験」などが挙げられます。

しかし日本の歌謡曲では、特に「全能の神」(なんでもできる神様)のみに注目して歌詞が書かれる傾向が見られます。日頃からの帰依や崇拝実践の有無にかかわらず、窮地からの脱出や問題の解決を突如出現する神に託すことは、古くから創作術上の「デウス・エクス・マーキナー(機械仕掛けの神)」として知られています。通常この神イメージは御都合主義的と見なされていて、アリストテレスは『詩学』においてその利用を批判的に論じています。

しかし戦後日本に数多みられる歌謡曲に登場する「神様」はまさにそのような心情に要請されて登場するものです。「神様お願い」「神様助けて」という歌詞メッセージが訴えかける先に、「全てを可能にする神」という「神様」像が形成されたのです。戦後から現代にまで続くこのイメージは、放送やレコードにのって多くの人々に親しまれる歌謡曲によって生み出され再生産されていったと言えるでしょう。

藤枝教授は講話の最後に、「このような「神様」イメージはけっして紛い物とかニセモノということではなく、人々の率直な宗教心が求めるものであり、それを拾い上げて記述し考察するのが宗教学という学問の仕事なのです」と締め括りました。