2025年6月 御命日勤行・講話 厳修

6月27日(金)10時40分より、6月の「親鸞聖人御命日勤行」を本学講堂において厳修しました。
勤行は、学長の調声のもと『正信偈』を唱和しました。その後、学生が感話を、三木彰円教授が講話を行いました。

「感話」及び「講話」で話された概要を、以下のとおりご紹介します。

学生による感話

  • 大谷大学での学び

    一楽先生から聴いた、「初代学長の清沢満之先生は、「本学は宗教学校である」とおしゃいましたが、特定の教義を教えるのではなく、自分の中で物事を決める際の「宗」、中心となる教えを見つけることである」という言葉が強く印象に残っています。 大谷大学は、仏教を学ぶための大学というイメージがありましたが、私の受講する現代仏教演習において、仏典を読み、教えを学ぶだけではなく、仏教の教えと現代社会の問題とを重ね合わせ、現代を生きる上で、念仏者としてどのように問題と向き合うのかを学んでいます。異なる視点から仏教を見るきっかけとなり、私にとって大きな学びとなりました。また、西洋哲学や社会学など幅広く、学科を超えて受講が可能であり、大谷大学の学生は、仏教だけではなく、自分にとって最も必要な考えは何か、何をもって自分の生き方を決めるのか、一人ひとり真摯に向き合い、学びを深めていっていると感じます。

  • 大谷大学での学び

    現代社会は、SNSやインターネットを通じ、多くの情報が手に入ります。それは刺激的で便利なものですが、自分自身の考えが分からなくなる原因にもなります。 私は人間学の授業で「自らに依り、法に依れ」というブッダの言葉を学び、現代に生きる私たちにとって深い意味を持つものだと感じました。 「自らに依り」というのは、決して自己中心的であるということではなく、何かを判断する際に、他者を尊重し、自分自身の意思決定をするということだと考えます。 人間学では、自己を見つめること、他者を理解すること、共に生きることといったテーマのもと、授業が行われてきました。これらのテーマは、「自らに依り、法に依れ」という言葉に含まれていると思います。 私自身、人の意見に左右されたり、自信が持てなかったり、迷うこともたくさんありますが、 自分の心を見つめ、自分の選んだ行動に責任を持てるようになりたいです。

本学教員による講話の概要

仏語に随順す

文学部真宗学科 三木 彰円 教授

三木彰円教授による講話の様子
三木彰円教授による講話の様子

三木先生は、「親鸞聖人の著書である『教行信証』には、左訓(さくん)と言う、文字の左側に言葉の意味などを注釈のようにお付けになっているところが多くある。その中でも、「偽」「詐」「諂」は繰り返し左訓がつけられており、人間は、偽り、へつらっていくものであるという在り方やご自身の在り方を何度も確かめられている」と述べました。
また、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と『歎異抄』の一文を引用し、「私自身も、私が生きる世界もすべて空言であり、真実はない。本学は、自己を問うということの大切さを、人間学をはじめとする授業で伝えているが、そんな不真実な私から自己を問うということは、都合のいい問いになり、いつでも答えが変わってきてしまうのではないか。如来の真実から自己を確かめていくこの在り方こそ、教えを拠り所にするということ、仏語に随順するということではないか」と講話を締めくくりました。